漢詩と中国文化
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夜讀岑嘉州詩集:陸游を読む


乾道九年(1173、49歳)夏、陸游は嘉州に赴任するが、そこはかつて岑参の赴任したところであった。そこで陸游は、これも何かの縁と思い、岑参の詩を集めて一冊とし、それを公刊した。

陸游が岑参に傾倒したのは、その愛国心が自分の遥かなお手本になると考えたからにほかならない。そのお手本としての岑参への思いを、陸游は一篇の詩に託した。


夜に岑嘉州の詩集を讀む(壺齋散人注)

  漢嘉山水邦  漢嘉は山水の邦
  岑公昔所寓  岑公の昔寓せし所
  公詩信豪偉  公の詩 信に豪偉
  筆力追李杜  筆力 李杜を追ふ
  常想從軍時  常に從軍の時を想ひ
  氣無玉關路  氣は玉關の路を無(な)みす
  至今蠹簡傳  今に至るも蠹簡傳はり
  多昔橫槊賦  昔の槊を橫ふるの賦多し
  零落財百篇  零落して財(わづか)に百篇なれど
  崔嵬多傑句  崔嵬 傑句多し
  工夫刮造化  工夫は造化を刮り
  音節配韶頀  音節は韶頀に配す

嘉州は山水の邦、岑公が昔寓居されたところだ、公の詩はまことに勇壮、筆力は李白と杜甫に次ぐ(漢嘉:嘉州のこと)

常に戦のことを思い、気力は玉關の路の険しさをものともしない、今に詩のいくつかが伝わるが、昔の戦を歌ったものが多い(玉關:玉門関のこと、道の険しさで知られる、蠹簡:虫食いの跡の付いた古文書、橫槊賦:戦場でつくった詩)

散逸して残っているのは100篇ほどに過ぎぬが、どれも勇壮で傑作だ、腕前は造物主の領域に達し、音節は歌曲を聞くようだ(崔嵬:山が広大なこと、刮造化:造物主の領域にせまる、韶頀:韻の時代の舞楽、転じて優れた音楽)

  我後四百年  我後るること四百年
  清夢奉巾屨  清夢に巾屨を奉ず
  晚途有奇事  晚途 奇事有り
  隨牒得補處  隨牒 補處を得たり
  群胡自魚肉  群胡 自ずから魚肉し
  明主方北顧  明主 方に北顧す
  誦公天山篇  公の天山の篇を誦し
  流涕思一遇  流涕 一たび遇はんと思ふ

私は先生より400年後にうまれたが、夢の中では先生の弟子になった、老後の機縁で、今は先生の後任者となっている(奉巾屨:巾や屨を奉じてしもべとなること、牒:異動の辞令をさす)

えびすどもは内輪もめしているので、考宗が北伐を考えておられる、そこで先生の天山の篇を誦し、流涕して一目なりとお会いしたいと思うのだ(自魚肉:うちわもめをする)






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