漢詩と中国文化
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十月二日初到惠州:蘇軾を読む


紹聖元年(1094)10月2日、蘇軾は流謫地である惠州についた。前任地の定州を出発したのが4月のことだから、2000キロ以上の道のりを、半年近くかかってたどりついた訳である。旅の途中で蘇軾は、弟の蘇鉄を徐州に訪ね、また家族の大部分を江南の町宜興にあずけてきた。

惠州は広東省広州の東百数十キロのところにある。中国歴史上、大庾嶺を超えて広東省(嶺南)に流されたものは、蘇軾以前には一人もいなかった。

しかし心配していたのとは大いに異なり、惠州は住みやすいところだった。嶺南萬戶皆春色と詩の中で詠ったように、亜熱帯地方で一年中暖かく、果物をはじめ食べ物もうまかった。

また、蘇軾は罪人の身とはいえ、名高い詩人芸術家として、現地の人々の尊敬を集めた。惠州知事をはじめ近隣の役人たちも蘇軾を大事にしてくれた。蘇軾にとって最も都合がよかったのは、忘姉の夫程之才が広南東路憲司として広州に赴任してきたことだった。蘇軾はこの程と親交を新たにして、何かと彼の世話になることもできた。

こんなわけだから、惠州時代に作られた詩には、罪人の身にありがちの暗さはみられない。かえって長閑な生き方を楽しんでいる風さえ感じられる。


十月二日初めて惠州に到る

  彷彿曾游豈夢中  彷彿たり 曾游豈に夢中ならんや
  欣然鷄犬識新豐  欣然として鷄犬新豐を識る
  吏民驚怪坐何事  吏民驚き怪む 何事にか坐すると
  父老相攜迎此翁  父老相攜へて此の翁を迎ふ
  蘇武豈知還漠北  蘇武 豈に漠北より還るを知らんや
  管寧自欲老遼東  管寧 自づから遼東に老いんと欲す
  嶺南萬戶皆春色  嶺南萬戶 皆春色
  會有幽人客寓公  會ず幽人の寓公を客とする有らん

ここはかつて来たことが、其れも夢ではなく現実に来たことがあるような気がする、新豊で放たれた鷄犬が喜び勇んで自分の旧居を見出したようなものだ、人々は私が何の罪に問われたかと驚き怪しみつつ、大勢で私を迎えてくれる、

あの蘇武は漠北から漢に戻れるとは夢にも思っていなかったし、管寧は遼東で生涯を終えようとしていた(私も同じ境地だ)、だがここ嶺南の地は萬戶が春色、隠者の中には奇遇者の私を客として迎えてくれる者もあるだろう


新豊は漢の高祖が自分の郷里豊邑を忍んでそっくりそのままの姿に作った街、犬や鶏でさえ、自分が飼われていた家がすぐにわかったという、蘇武は漢の武帝の時に匈奴に囚われの身となり19年後に漢に帰ることができた、管寧は三国時代に乱を避けて遼東に逃れた






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