漢詩と中国文化
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陶和歸園田居六首 其四:蘇軾を読む


蘇軾の五言古詩「陶の園田の居に歸るに和す六首 其四」(壺齋散人注)

  老人八十餘  老人 八十餘
  不識城市娛  城市の娛しみを識らず
  造物偶遺漏  造物 偶たま遺漏す
  同儕盡丘墟  同儕 盡く丘墟
  平生不渡江  平生 江を渡らず
  水北有幽居  水北 幽居有り
  手插荔枝子  手づから荔枝の子を插み
  合抱三百株  合抱 三百株

80過ぎのこの老人、都会の楽しみを知らぬ、神様がお見逃しをしたか、同輩はみな死んだ中で一人だけ生き残っておる、平生は川もわたらず、北側のほとりに幽居を営んでおる、手づから蒔いた荔枝の種が、成長して300本にもなった

  莫言陳家紫  言ふ莫かれ陳家の紫
  甘冷恐不如  甘冷恐らくは如かずと
  君來坐樹下  君 來って樹下に坐せ
  飽食攜其餘  飽食せば 其の餘を攜へよ
  歸舍遺兒子  舍に歸って兒子に遺らん
  懷抱不可虛  懷抱 虛しうすべからず
  有酒持飲我  酒有らば持して我に飲ませよ
  不問錢有無  錢の有無を問はず

陳家の紫には甘さが及ばぬなどと言わないでくれ、まあこっちに来て樹下に座りなされ、そして食い残したものは家に持っていきなされ、家に帰ったら子供にやろう、好意を無駄にはすまい、もし酒があったら、お返しにの案せてくれ、金のことはとやかくいわずに


詩の前半8句では幽居での生活ぶりを歌い、後半8句では、贈答をめぐっての主人と客との対話が歌われている。なお、元となった陶淵明の「歸園田居第4首」は次のとおりである。偶数句にある韻を踏んでいることがわかる。

  久去山澤游  久しく去る山澤の游び
  浪莽林野娯  浪莽たる林野の娯しみ
  試攜子姪輩  試みに子姪の輩を攜へ
  披榛歩荒墟  榛を披きて荒墟を歩む
  徘徊丘壟間  徘徊す丘壟の間
  依依昔人居  依依たり昔人の居
  井竈有遺處  井竈遺處有り
  桑竹殘朽株  桑竹朽株を殘す
  借問採薪者  借問す薪を採る者に
  此人皆焉如  此の人皆焉くにか如くと
  薪者向我言  薪者我に向ひて言ふに
  死沒無復餘  死沒して復た餘ること無しと
  一世異朝市  一世朝市を異にす
  此語眞不虚  此の語眞に虚ならず
  人生似幻化  人生幻化に似て
  終當歸空無  終に當に空無に歸すべし






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