漢詩と中国文化
HOMEブログ本館東京を描く水彩画陶淵明英文学仏文学西洋哲学 | 万葉集プロフィールBSS


初到黄州:蘇軾



元豊2年(1079)の大晦日に、蘇軾は4か月余りにわたる拘禁の末に、釈放されて出獄した。獄門を出ると、蘇軾はしばらく立ち止まって空気を吸い、街をゆく人々の姿を眺めたり、カササギの声に聞き入ったりして、自由の身になった喜びを噛みしめた。

蘇軾を待っていたのは、流罪だった。流謫先は黄州、今の湖北省黄岡県である。元豊3年正月に都をたち、同年2月に黄州についた。この旅に蘇軾は長男の邁だけを伴った。ほかの家族、妻と娘7人、息子3人、女婿2人は、弟の蘇轍に頼んで、後から連れてきてもらうことにした。

蘇轍は兄の刑を軽くしてもらうために自ら左遷を願い出て、九江の南方百数十キロのところにあるイン州の低官に命じられたため、自分自身の家族を伴ってイン州に移動したのち、兄の家族を伴って黄州にやってきた。五月下旬のことであった。

こうして蘇軾は、元豊7年三月に汝州団練副使に転じるまで丸4年、この黄州に滞在することとなる。

  自笑平生為口忙  自ら笑ふ平生口の為に忙しきを
  老來事業轉荒唐  老來 事業 轉た荒唐
  長江繞郭知魚美  長江郭を繞って魚の美きを知り
  好竹連山覺筍香  好竹山に連って筍の香しきを覺ゆ
  逐客不妨員外置  逐客妨げず 員外に置かるるを
  詩人例作水曹郎  詩人例として水曹の郎と作る
  只慚無補絲毫事  只だ慚づ絲毫の事を補ふなくして
  尚費官家壓酒嚢  尚ほ官家壓酒の嚢を費すを

日ごろ生活に追われて精一杯、歳をとっていよいよ荒唐無稽な生き方をするようになった、ここは長江が住まいの周りを流れ魚がうまい、裏山には竹が茂って筍が香ばしい

追放された身ゆえどんな職でも文句は言えぬ、過去にも水曹の郎に左遷された詩人がいた、ただ恥ずかしいのは、何の役にも立たぬくせに、お上を煩わせて酒を絞る袋を賜っていることだ






前へ|HOME蘇軾次へ






 


作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2011
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである