漢詩と中国文化 |
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恵崇春江暁景(其一):蘇軾を読む |
蘇軾は元豊八年(1,085)末に礼部郎中として召喚されるや、翌年早々には中書舎人となり、九月には翰林学士にスピード出世した。翰林学士とは詔勅の起草を担当する役職で、皇帝に最も近い位置にある要職である。 蘇軾をプロモートしたのは、いまや幼帝を支えて摂政の地位にある太皇太后であった。太皇太后は王安石らの新法等の政策を嫌って司馬光を起用するなど、旧法寄りの姿勢を明確にしていた。そこで旧法派のチャンピオンと目され、いままでは朝廷から遠いところにいた蘇軾を呼び寄せ、熱い信頼を置いたわけである。 これから、杭州知事として転出するまでの約三年間、蘇軾は中央政治の中心にあった。彼は旧法党のチャンピオンとして中央政治に復帰し、心ならずも新法党の連中との権力闘争に巻き込まれながら、詩人としてばかりでなく、書家、画家としても活躍を強めていく。 恵崇春江暁景と題する七言絶句は、首都開封に到着した直後の作品だと思われる。恵崇の描いた水墨画に題したものである。 竹外桃花三両枝 竹外の桃花 三両枝 春江水暖鴨先知 春江 水暖かにして鴨先ず知る 縷蒿満地蘆芽短 縷蒿は地に満ち 蘆芽は短し 正是河豚欲上時 正に是れ 河豚の上らんと欲するの時 竹藪の向うには桃の花が数輪咲いている、春の河の水が暖かなのを鴨は知っているようだ、ヨモギがあたり一面に生い茂り、葦が短く芽吹いている、今頃はまさしく、フグが河を遡ってくる季節なのだ |
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