イタリア紀行
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イタリア紀行その十三:アリアとカンツォーネの
ディナーショー



ホテルに小憩して後、夕刻いつものチェルナイア通りを歩みてマイバスに至る。ここよりアリアとカンツォーネのディナーショーに赴かんがためなり。余ロンドンにてはミュージカル、パリにてはオペラ、シャンソン喫茶と言ふ具合に海外旅行には必ずナイトショーを楽しむこととしをりしが、ローマについてはガイドブックを検索しても適当なるものを見出すことを得ず。旅行会社推奨のディナーショーにて我慢することとはしたるなり。このショーはどうやら日本の旅行会社が現地のレストランと特約して設けたるものの如くにしてあまりパッとせざるもののやうなれど、一晩の無聊を慰むるに足るべし。

文子マイバスの係員を捕へてなにやら話しをりしが、そのうち大声を出して係員を罵り始めたり。何のことかと不審に思ひ訳を聞きしところ、遺失物に関して遺失の事実を証明する書類を当営業所にて発行するやう申し入れたるところ、ご自身にて警察に届け出るやう言はれてカッとしたるなりと言ふ。通常かかる営業所のサービスは相談に応ずるが限度にて顧客に代って手続きをなすことなし。ましてや事実確認の資格なしに遺失証明なるものを発行するは論外なり、それはおぬし自身のなすわざなるべしと言ひて文子を制したり。

日本人ガイドに先導せられてツアーバスに乗り込む。同行者は日本人客ばかり八組十六名なり。バスはローマの市外を南西方向に走り四十分あまりしてとあるレストランの前に停る。余そのレストランの名と所在地を失念したり。



レストランはかなり大規模にて余らは最奥のコーナーに案内せらる。余らの席の前には一台のピアノ据ゑられ、その前に二人の歌手らしき者控へてあり。余らのほかには客の姿あらず。ややして料理運ばれ来る。余らが料理に手をつけるころ歌手たち歌ひ始む。一人は男、一人は女、二人とも恰幅よし。恰幅に相応して声量も大なり。その声量もてヴェルディのアリアやらナポリの民謡を歌ふ。

同席する日本人たちは今宵が初対面なれど食事が進むにつれて互ひに打ち解け始めたり。余の隣に座しをりしは七十歳前後の退職者夫妻にて、目下退隠の慰みに夫婦揃って世界旅行をなしをる由。今宵はその始まりよりいくばくも経たず、今後四十五日かけてフランス、ドイツ、スペインなどを経て南米にも行く積りなりといふ。亭主の語るを細君は楽しさうに聞きゐたりき。夫君は商社人らしく極めて如才無し。されば細君をも喜ばすと見えたり。とまれ夫婦円満なるは何物にも代へがたしと言ふべし。

そのうちドイツ人の団体入り来る。この人々は内輪の会話に熱中して歌手の歌ふを顧慮せず。そのさまを見て歌手ら大いに憤慨す。歌手が言ふにはドイツ人はみなさうなり、彼等にはショーを楽しむ資格なしと。それに対して日本人たる余は大いに楽しみたりとてチップ五エウロを与ふ。歌手ら大いに発奮して「上を向いて歩こう」を日本語もて歌ひたり、

またインド人らしき風采せる人々の集団入り来る。余そのうちの一人と便所にて英語もて会話をなすに、彼等はスリランカ人にして同郷の人々数十名とともにツアー旅行を組みヨーロッパ各地を周遊しをるなりと言ふ。今後パリ、ベルギー、ドイツに遊ぶ由なり。同行者の中には子供連れもあり。彼等はドイツ人とは異なり歌手に対して拍手を惜しまざりき。

かう見ればこのレストランは各国の旅行会社との間に専属契約を結び手堅く営業しをるものの如し。ショー終了後バスにてホテルまで送らる。





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