イタリア紀行
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イタリア紀行その十六:スカッパ・ナポリ


(ベリーニ広場)

考古学博物館前のマリア・ディ・コスタンティノーポリ通りを歩み行けばややしてベリーニ広場に至る。ここより南東方向ガリバルディ広場へ至る一体をスカッパ・ナポリと言ふ。ナポリの下町にして同時に歴史地区と言はるる地域なり。庶民的雰囲気がいかにもナポリらしいとて映画にもたびたび描かれ来れるなり。

スカッパ・ナポリ地区はベリーニ広場の西ダンテ広場より東に延びるトリブナーリ通りを北辺とし、その南に平行して走るビアージョ・ディ・リブライ通りを南辺とする平行四辺形を中心にしてその周囲を併せたかなり広範囲の地域なり。この二つの通りもさることながらそれに交差する多くの道沿ひに古建築櫛比し独特の雰囲気を漂はせをるなり。映画などにて特に名高くなりしは通りの両脇より垂れ下がる洗濯物の眺めなり。天晴れ渡る日には無数の洗濯物風になびきある種の壮観を呈する由なり。余らが通りがかりし時は午後の押し詰まれる時間帯にて夕闇の迫らんとする頃相なれば大部分の洗濯物は屋内に取り込まれて見えざりき。


(トリブナーリ通り)

トリブナーリ通りを歩みつつ両脇の店を物色す。喉が渇きたればソフトクリームを食ひたくなりしが売る店を見ず。とある路上の店にてレモナーデのメニューを見かけたればこれにて我慢することとす。席に座せば早速亭主出てきて注文をとる。余レモナーデを注文す。亭主曰く、うちのレモナーデは手づから絞りたてで世界一おいしいですよと。余ジェラート(ソフトクリーム)つきのレモナーデはなきやと重ねて問ふにジェラートはございませんと言ふ。それでもよろしいと答ふるに亭主やがてレモナーデを運び来る。頗る美味なりき。


(スカッパ・ナポリの横丁)

トリブナーリ通りとビアージョ・ディ・リブライ通りを結ぶ幾多の通路にはそれぞれ特徴あり。狭小かつ仄暗き道あり、また教会堂の刳口を貫きて通るもあり。小店の出たる道もあれば住居の入口のみ開いたるものあり。


(スカッパ・ナポリの洗濯物風景)

横丁の中にはいまだに窓より洗濯物のぶらさがりて見えしものもありき。


(ビアージョ・ディ・リブライ通り)

ビアージョ・ディ・リブライ通りを歩む。この通り沿ひはトリブナーリ通りに比して路上のカフェテリア少なきやうに見えたり。道幅は変はらざるなれど小広場少なきがためなるべし。道は石を以て敷かれ頗る汚し。道を掃く者あらざるがためなり。余一軒の店の前を箒もて掃く者を見かけしが、掃く人塵を回収せず。ただ他人の店先に掃き寄せるのみ。これには唖然とせしめられたり。


(ガリバルディ広場のガリバルディ像)

日の暮れかからんとする頃ガリバルディ広場に戻る。ガリバルディはイタリア統一の英雄にしてイタリア人の敬愛すること甚だしき人物なり。日本の西郷さんと似たるところあり。大業を成就してしかも奢らず。いはんや栄誉を求むることなし。

列車の出発まで時間の余裕あればいづくかのレストランに入り夕餉をなさんと欲す。ガイドブック記載のとある店を訪ねたるところ開店まで間があると言はる。その隣に中華料理屋ありしが、これもまた開店まで間があると言ふ。駅近くのブファロなるレストランに入りぬ。

このレストラン味も雰囲気もなかなかなりき。トマトのパスタとシーフードのリゾット、それにサラダをつけて赤ワインを飲みたり。

帰路の列車はナポリ始発七時三十発のフィレンツェ行特急列車なり。疲労と酔ひ重なり席に座すやたちまち眠りに陥る。そのうち何者かに肩を叩かれて目覚む。見れば我眼前に般若の如き表情せる女何事かをまくし立ててあり。どうやらそこは自分らの席ゆえとっとと消え失せろと言ひをるやうなり。余ははじめドイツ人かと思ひしが言葉からしてアメリカ人なり。

アメリカ女がかくも攻撃的態度をとるはめずらしといへど、この女は三人の子を伴ひてあり。子を伴ひたるメスが攻撃的になるは動物に共通のことなるらし。余その剣幕に煽られて通路の反対側の席に移動せり。

九時近くホテルに戻る。その頃より雨降る。この日は大いに疲労したり。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015
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