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大岡昇平を読む


大岡昇平は、太平洋戦争末期に召集されてフィリピン戦線に配属され、艱難辛苦の末ミンドロ島で米軍俘虜になった。その後レイテ島の収容所に移るが、そこで見聞したことは、ミンドロ島以上にすさまじいものだった。この世の地獄というべき光景が、そこでは展開されていたのである。大岡昇平は、一兵士としての自分の体験や、レイテ島で見聞したことを下敷きにして、戦後一連の、戦争文学といえる作品を書き続けた。「野火」は戦場の限界状況における人肉食をテーマにしたものであり、「俘虜記」は自分自身の俘虜体験を描いたものだ。そして「レイテ」戦記は、レイテ戦線における日本軍の戦いぶりを、誇張なしに淡々と記録した。それらを読むと、戦争というものの異様な相貌が、微視的な様相を呈して現れてくる。大岡昇平のこれらの作品は、世界の戦争文学に金字塔を立てたといえるのではないか。

大岡昇平は、戦争体験以外の、いわゆる純文学も手掛けている。大岡はスタンダールの研究者でもあり、人情の機微を書くことにたけているのだが、彼の小説、たとえば「花影」とか「武蔵野夫人」といった作品は、読む者によって評価が分かれる。

大岡には、自分が歴史の表現者としての意識が強かったのであろう。自分の初期の作品を、日本の歴史の中に位置づけ、自分が体験した戦争の意味について考えたようである。そういう態度は、近代日本の歴史小説の取り上げ方にも反映した。大岡は、1960年代以降近代日本の歴史小説を対象にした批評を書くようになり、また、1975年には鴎外の「堺事件」を厳しく批判する文章を書いたりしている。そこに見られるもは、小説といえども、歴史的な事実をねじまげたり捏造してはならないという考えであった。大岡も無論幾分かの修飾を認めないではないが、基本線においては、歴史の事実に忠実であるべきだと考えた。

大岡は、幕末の攘夷運動をテーマにした「天誅組」を1975年に出し、また遺稿という形で「堺港攘夷始末」を残したが、それらには歴史に忠実たらんとする大岡の姿勢が強くあらわれている。大岡は、自身歴史に深くかかわったという意識を持っていて、それがかれに歴史へ眼を向けさせる動機になったのだと思う。

なお、大岡は小林秀雄との交際でも知られる。小林と大岡はとかく師弟関係として見られるが、わずか七歳の差でしかなく、対等に付き合ったようである。一人の女を仲良く共有したほどである。大岡が小林からなにかしら影響を受けたとしたら、それは女の扱い方を学んだということではないか。作家としての資質は、小林と大岡とは正反対のものを示している。小林は情動的で非論理的だが、大岡は知性的で論理的である。

ここではそんな大岡昇平の世界を、戦争文学を中心にして読み解いてみたいと思う。


大岡昇平「俘虜記」を読む

俘虜になった日本人:大岡昇平「俘虜記」

戦友:大岡昇平「俘虜記」

戦場の性:大岡昇平「俘虜記」

敗戦と復員:大岡昇平「俘虜記」


大岡昇平「野火」を読む


大岡昇平「レイテ戦記」を読む

レイテ戦緒戦と第十六師団:大岡昇平「レイテ戦記」

比島沖海戦:大岡昇平「レイテ戦記」

神風特攻:大岡昇平「レイテ戦記」

第一師団の戦い:大岡昇平「レイテ戦記」

第26師団の戦い:大岡昇平「レイテ戦記」

第30師団及び第102師団:大岡昇平「レイテ戦記」

第68旅団:大岡昇平「レイテ戦記」

第35軍と第14方面軍:大岡昇平「レイテ戦記」

レイテ島日本軍の壊滅:大岡昇平「レイテ戦記」

遊兵と人肉食:大岡昇平「レイテ戦記」

抗日ゲリラ:大岡昇平「レイテ戦記」

従軍記者:大岡昇平「レイテ戦記」


大岡正平「ミンドロ島ふたたび」を読む

フィリピン人の対日感情:大岡昇平「ミンドロ島ふたたび」


大岡昇平「堺港攘夷始末」を読む

大岡昇平の歴史小説論と鴎外批判


二つの同時代史:大岡昇平と埴谷雄高の対話



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