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夏目漱石を読む


夏目漱石は姦通を描き続けた作家だったという見方も成り立つ。姦通といって聞こえが悪ければ、男女間の性的関係、とりわけ三角関係にこだわった作家だといいかえてよい。漱石が男女の関係を小説に書く時には、一人の女と二人の男の物語という体裁をとるのが常道だった。その関係は、「それから」や「門」にあっては姦通という形をとり、「こころ」においては友人を出し抜いての女の略奪という形をとったわけだが、いずれにしても、三角関係をテーマとしたものには違いなかった。漱石の遺作となった「明暗」も、男と女の不倫な関係を主なテーマとしている。

漱石はなぜかくも姦通とか略奪愛というものにこだわったのか。世界の文学史上、男女の間の恋愛を描いた作家は星の数ほどいるが、姦通とか略奪愛のようなものを、専ら描き続け、それこそが男女の愛の基本的なあり方なのだと主張した作家は珍しい。ところがその珍しいことが、日本の文学の伝統、とりわけ徳川時代以降の近世文学においては、けっこう珍しくはないのである。近松門左衛門の一連の浄瑠璃は、男女の心中事件に取材したものが多かったが、その心中の原因には姦通があった。姦通を問われて追い詰められた男女が心中するというような筋書きになっているのである。

井原西鶴にしても、好色な女を好んで題材に取り上げる中で、姦通とか密通をテーマにした作品を書いている。徳川時代には身分の差別が男女の自由な恋愛を妨げたという事情があり、それが許されぬ恋としての密通に結びつくわけだが、それにして姦通は極めて反道徳的な行為とみなされざるを得ない。それを近松にしても西鶴にしても、正面から取り上げているということは、日本の性文化に姦通への強い親和性があるとみなさざるを得ないところがある。漱石はそうした日本の姓文化を正直な形で表現したのではないか。

夏目漱石といえば、日本の近代化にともなう自我の確立という問題に取り組んだとか、西洋文化と日本文化のはざまにあって、その対立と調和について深く考えたとかいう批評が流通している。中には漱石は近代日本が直面したナショナリズムの問題について本格的に考えた文学者だったというような見方まである。たしかにそういう面がなかったわけではないが、しかし漱石が専ら描いた姦通の世界は、そうしたものとは関係がないと言ってよい。おそらく漱石は、徳川時代に小説を書いたとしても、やはり姦通を描いただろうと思われる。姦通は漱石にとって、ほとんど唯一の文学的テーマだったのである。

そこで何故漱石が姦通を専らテーマにして書き続けたか、ということが改めて問題になる。近松や西鶴などの日本の文学の伝統を受け継いだという見方ができるかもしれない。また、漱石自身がそうした姦通的な体験をし、それへのこだわりが漱石に姦通小説を書かせた動機になったと見ることもできるかもしれない。

日本の文学的な伝統ということでは、女性によって担われる部分が大きかったということができる。その女性たちも、姦通に深い関心を寄せていた。源氏物語には、源氏をめぐるいくつかの姦通が描かれているが、紫式部が強い影響を受けたと思われる伊勢物語も、これは一応男である在原業平が書いたということになっているが、やはり姦通めいた話が出てくる。ということは、日本文学の担い手たちは、男も女も、姦通に非常に深い関心を持っていたということではないか。そんな日本の文学的な伝統に、漱石もまた忠実だったと言えるのではないか。

ここではそんな夏目漱石の姦通小説の一々について、それが描出する独特の世界を読み解いていきたいと思う。



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