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安部公房を読む


安部公房は、三島由紀夫と並んで戦後日本文学の一番手である。ともに世界的に評価される大作家になったが、その作風はかなり異なる。単純化して言えば、三島が日本的なるものにこだわったのに対して、安部はコスモポリタニズムを志向したということになろう。安部の文学には、国籍を感じさせない、人類に普遍的なものを追求しようとする傾向が強い。

二人ともほぼ同年齢で、戦時中に懲役年齢に達しながら、懲役を回避して生き延びたという体験がある。懲役回避の方法については、二人の間には相違がある。三島の場合には親の政治的影響力を利用して懲役を忌避したフシがあるのに対して、安部の場合には意図的に満州に逃げて懲役を回避した。三島は自分の懲役忌避を正面から取り上げることを回避し続けたが、安部はそれを正直に告白している。

懲役を回避して戦争に行かなかった三島が、戦争を賛美するようになったのに対して、安部は生涯戦争を憎悪し続けた。安部の戦争憎悪は、戦争そのものの醜悪さに向けられたものというより、戦争が日本人をゆがめた点に根差しているようだ。安部は敗戦直後に満州にいたが、そこで日本人の醜い一面に接した。現地で日本人が中国人に囲まれると、ほかの日本人は見て見ぬ振りをする。治安が悪化して悪事狼藉を働く者が多くなると、その悪事を働く者の多くが日本人で、しかも悪事の対象が同胞たるべき日本人であった、ということも見聞した。

そんなこともあって安部公房は、日本人の民族的団結なるものに懐疑的になるばかりか、およそ国籍というものに対する敬意を失った。安部のコスモポリタニズムは、そうした自身の実体験に根差している。

そんな安倍公房が、作家として踏み出した作品は、カフカ流の不条理を描いたものだったが、そこには以上のような事情から、およそ国籍を感じさせる要素は何もない。登場人物は、あらゆる国籍を超越しているばかりか、人間というものについての既成概念をも逸脱するものだった。安部公房の作家としての歩みは、この新しいタイプの人間像の追及を通じて、人間とは何か、という素朴な疑問に答えようとする営みだったといえる。


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