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南方熊楠の世界:隠喩的思考


南方熊楠は、柳田國男、折口信夫とともに日本民俗学の巨匠と言われている。この三人には著しい学風の相違がある。柳田國男は、事実を収集・比較し、そこから帰納的に結論を導き出すという実証的な方法を心掛けた。折口は、彼らしい直観からある仮説を立て、その仮説に基づいて事象を演繹的に説明するという観念的な方法を駆使した。南方熊楠の場合は、事象の森に踏みこみながら、事象相互間に認められる類似点を手掛かりに、事象から事象へと横への移動を繰り返し、いわば横断的に思考を展開するという方法を、該博な知識を駆使して展開した。

類似を手掛かりに事象を結びつける方法を、隠喩的な方法といってよい。南方熊楠の思考方法は、この隠喩的思考ということができる。こういう思考方法は、熊楠に限らず、日本の思想家たちの一つの大きな特徴なのだが、南方熊楠にかかると、それが豪華絢爛な印象を、読む者に呼び起こす。南方熊楠の文章は、読み物としてもすばらしいのである。

南方熊楠は、柳田や折口と異なり、生涯を在野の一研究者として生きた。生まれ故郷である紀州で趣味の粘菌研究に没頭するかたわら、博物学的な知識を駆使してさまざまなテーマについて持論を展開して見せた。そうした熊楠の業績は、柳田国男によって高く評価されたこともあったが、日本の思想界とか読書界とかいったものに受け入れられることは薄かった。孤高の研究者といったイメージである。だからその生涯とか、研究の内容とかが、広く知られることは、生前にはなかったようだが、幸いに彼自身が残した自叙伝を通じて、我々は彼の生涯とその思想的な遍歴とをかなり詳しく知ることができる。熊楠研究者として知られる鶴見和子ほか、南方熊楠の研究者たちはこの自叙伝を手掛かりにして、南方熊楠という人物像を構成しているのである。

この自叙伝は、南方熊楠がある人物にあてて書いた自己紹介のようなもので、そのなかで熊楠は自分の粘菌研究の意義についてこまごまと述べ、是非その研究を後押ししてくれるための寄付を仰いでいるのであるが、単に自己紹介にとどまらず、自分の研究の概要を詳しく述べたり、また熊楠得意の猥談をちりばめたりして、なんとかして自分を理解してもらおうとする意欲を感じさせる。上にも述べたように、南方熊楠の思考のスタイルは隠喩的であるので、体系だった説明は苦手である。話題はあちこちに脱線して、まっすぐには進んで行かない。それでも話のつながりは何となくあるので、これを読むものは、南方熊楠という人物のイメージをありありと目に焼き付ける次第になるのである。

この自叙伝では粘菌研究のことが大きな話題になっているが、南方熊楠にはもうひとつ生涯をかけたテーマがあった。神社合祀反対運動である。これは神社の財政基盤を確保するという名目で、明治政府が始めたもので、熊楠の本拠地和歌山県はとくに盛んに行われたのだが、熊楠はそれに強く反対した。その理由は、神社の財政基盤を確保する目的から、森林伐採が広く行われ、その結果粘菌を含めた貴重な自然資源が失われるという危惧だった。現実は熊楠の危惧を踏みにじるようにして、神社合祀は進んだ。熊楠は自分の危惧を、明治天皇に直接ぶつけてもみたが、理解されることはなかった。

さて南方熊楠は、すさまじい記憶の持ち主だったようで、その博覧強記ぶりは度肝を抜かれるくらいである。彼の関心はあらゆる領域にわたり、まさに百科全書的な問題意識を感じさせる。もっとも上にも触れたとおり、熊楠の思考は隠喩的な思考であるので、体系的な議論には縁がない。というよりか、自分の思想を体系的に展開しようとする意図を熊楠はもっていなかった。唯一例外なのは、今日熊楠曼荼羅と呼ばれているものだ。これは熊楠なりの世界認識を、仏教の曼陀羅図にことよせて説明したもので、単純化して言えば、万物は相互に関わりあっているというような考え方を述べたものだ。もっとも本人はこれを、ある手紙の中で思い付きのように語っているだけで、この曼荼羅図に基づいて自分の思想を展開しようとする意図は持たなかった。だが南方熊楠の思想を整理するうえで、この曼荼羅のアイデアは役に立ちそうである。

先に熊楠が猥談好きであったことに触れたが、自分自身は性的には淡白だったようだ。猥談が人間関係を滑らかにすることを知っていて、積極的に活用したのだと思う。この猥談の趣味があるおかげで、南方熊楠の世界は、人間的なうるおいを感じさせるのである。ここではそんな南方熊楠の業績を読み解いていきたい。



南方熊楠の履歴書
南方猥談:南方熊楠の履歴書
地球志向の比較学:鶴見和子の南方熊楠論
南方熊楠の神社合祀反対運動
南方曼荼羅

人柱の話:南方熊楠の世界
巨樹の翁の話:南方熊楠の世界
西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語:南方熊楠の世界
猫一匹の力によって大富となりし人の話:南方熊楠の世界
燕石考:南方熊楠の世界
鷲石考:南方熊楠の世界

月下氷人:南方熊楠の近親婚論
摩羅考:南方熊楠の男根談義
婦女を姣童に代用せしこと:南方熊楠の鶏姦談義
南方熊楠の男色談義

南方熊楠とトーテミズム
虎に関する史話と民俗伝説:南方熊楠「十二支考」
兎に関する民俗と伝説:南方熊楠の「十二支考」
田原藤太龍宮入りの話:南方熊楠「十二支考」
鼠に関する民俗と信念:南方熊楠「十二支考」

南方熊楠の粘菌研究
南方熊楠の文章:中沢新一の熊楠論



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