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折口信夫の思想:直感主義・常世とまれびと


折口信夫が常世論を提示するのは三十台前半という若い頃のことだ。以後彼の民俗学の根本概念として生涯を通じて言及するようになる。いまその常世論の出始めを中公版全集で当たってみると、第二巻の冒頭をかざる「妣が国へ・常世へ」が最初の仕事のようである。この短い文章のなかで折口は、彼独特の直感にもとづいて常世の何たるかを解説している。そのやり口は柳田国男の実証的な方法とは対照的なもので、直感と言うかひらめきと言うか、科学的と言うよりも文学的とでも言うべき手法を以て独自の概念を定立し、その概念にもとづいて、様々な事象を演繹的に説明しようとするところに折口の折口らしい特長がある。

さてその常世であるが、折口信夫はこの言葉を定義する前にいきなり次のように言って、常世のイメージを掻き立てようとしている。これが折口が常世を紹介したそもそもの始まりの言葉なのだが、それを折口は神話への言及に絡めて言っているわけだ。神話に書いてある言葉だから、いまさらとやかく定義するまでもなく、我々日本人にとっては無条件の所与として受け取るべきである、そのような折口の根本姿勢が伝わって来るところだ。

常世という言葉を紹介する前に折口信夫は「妣が国」という言葉を紹介している。というよりその言葉からこの小論を書き始めているのである。「妣が国」は良く知られているように、記紀神話でのスサノオノミコトにまつわる話の中で出て来る。スサノオノミコトは父君の伊弉諾尊から海原の国を治めるように命じられるが、妣がいる根の堅洲国に行きたいと言って駄々をこねる。この根の堅洲国が妣が国なのだが、折口はスサノオノミコトの神話にまつわるこの国を、日本人の祖先のそもそもの故郷ではないかと推測するのである。そう推測する理由は、それが記紀神話に書かれているという以外にはない。ただ折口は自分自身の直感においても、それが「わが魂のふるさとの様な気がしてならなかった」とも言うのである。

この妣が国と常世とは、日本人にとって同じような意義を持つところであるが、ニュアンスに多少の違いがある。妣が国は、我々日本人の遥かな祖先の住んでいた国と言うニュアンスなのに対して、常世のほうは、現世とはまったく異なった別世界で、海の遥か彼方にあり、そこでは長寿とか富の豊かさがあふれていて、ある種のユートピアのような様相を呈しているというのである。だが、どちらも現世からははるかかなたに離れた所という点では、互いに習合する傾向がある。

折口信夫はまた、常世=トコヨのヨという言葉が夜を意味するとも言い、常世が常夜すなわち永劫に渡って暗黒の世界である点にも注目する。もし常世が常夜の国ならば、それは暗黒の支配する地底の世界と言う連想につながる。地底の世界といえば、記紀神話では根の堅洲国があるわけで、そこから折口は常世と地下の世界としての根の堅洲国とを結びつける。そうしたうえで、我々日本人の先祖が、常世信仰を通じて、独特の宇宙観をもっていたことを明らかにしようとするのである。

しかし、この小論ではとりあえず常世についての折口信夫なりの問題意識を提起しただけにとどまり、それ以上踏み込んだ議論は行っていない。その議論は「常世の国」という副題を持った「古代生活の研究」のなかである程度展開される。折口が「妣が国へ・常世へ」を書いたのは大正九年のことであり、「古代生活の研究」を書いたのは大正十四年のことである。したがって両者の間には五年の間隙があるわけだが、その五年間に、常世をめぐる折口の思想にどれほどの深化が見られたか興味深いところである。

この論文は、暦の話から始まって、初夢の話やら初夢に見る宝船の話やらをしたあとで、琉球地方の信仰を援用しながら、常世の概念を精緻化することを目的の一つとしているようだが、その目的が果たしてどの程度達成されたかは、読む人によって受け止め方が異なるであろう。折口は、常世の用語例を分析しながら、常世のトコが不変を意味し、ヨのほうはもともと米の実りを意味するとして、米の実りが年の移り変わりを表すようになり、従ってヨには年の意味があると結論付けている。同じようなことはトシという言葉そのものにもあてはまり、この言葉ももともとは米穀の義から出て年を意味するようになったのだと言う。いずれにしても年を意味するヨという言葉が、次第に齢や世を意味するようになり、そこから常世という言葉は、尽きせぬ齢とか永遠の世というニュアンスを持つようになったというのである。

そこでこの常世には、現世とは全く異なった別世界ということから、またそれが永遠に変わらぬ理想郷を意味していることもあって、神のいます国というように考えられるようになった。しかもその国は、我々現世の人間とは無縁であるのではなく、深いつながりをもっているように受け取られた。そのつながりを媒介するのが「まれびと」である。この「まれびと」という概念こそ、「常世」の概念と並んで折口の根本的な考え方を込めたものであった。

この「まれびと」は神の国たる常世からやってくるのであるから、当然のこととしてそれ自体が神として観念された。我々日本人は、この神としての「まれびと」との交渉を最大の関心事として、独自の文化を作り上げて来た、というのが折口の基本的な考え方である。その「まれびと」のプロフィールを折口信夫は次のように書いている。

「此まれびとなる神たちは、私どもの祖先の、海岸を逐うて移った時代から持ち越して、後には天上から来臨すると考え、更に地上のある地域からも来る事と思う様に変って来た。古い形では、海のあなたの国から初春毎に渡り来て、村の家々に、一年中の心躍るような予言を与えて去った。此まれびとの属性が次第に向上しては、天上の至上神を生み出す事となり、従ってまれびとの国を高天原に考える様になったのだと思う」

こんな具合で折口信夫は、常世の概念を精緻化する一方、まれびとの概念を導入することで、われわれ祖先の宗教的な思考を特徴づけ、それを通じて日本人の文化の特徴を一元的に、しかも演繹的に説明しようと意図したように思われるのである。



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