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習近平の中国と日本


2021年は中国共産党結党100周年とあって、盛大な式典が催され、共産党総書記習近平が一時間を越える長い演説を行った。その演説は、中国の発展をたたえ、その発展を支えた共産党を賛美するものだった。演説の最後を習近平は「偉大な共産党万歳」と結び、中国の強大化に強い自信を見せた。

この演説は、諸外国に向けたメッセージでもあり、また中国人民に向けたメッセージでもあった。諸外国特に欧米諸国に向けては、中国はいまや、昔のような弱虫ではなく、強国に一方的に搾取される立場に甘んじていない。また、台湾問題や少数民族問題をはじめ、中国の内政問題に諸外国が容喙することを許さない。そういう諸外国による介入を習近平は「外圧」と呼んで、中国は決して外圧に屈しないと宣言したのだった。

国内向けには、中国が偉大な経済強国になり、国民のすべてに「小康状態」を保証することができるようになったことをアピールした。このアピールは結構効果があったようだ。いまや中国人の生活水準は、さまざまな問題を抱えながらも、一応満足できるものになっている。それを踏まえて分厚い中産階級も生まれてきており、そうした階層を中心に、体制への満足感はかつてないほど高まっている。中には、欧米的な体制よりも中国の体制の優位性を信じる人も大量に登場してきている。中国は、21世紀に入る時点では、まだまだ後進国のレベルにとどまっており、国は貧しく、国際社会での存在感も弱かったが、いまは世界第二の経済大国となり、また、コロナ危機のようなパンデミックを、欧米諸国を尻目に克服し、名実共に大国としての自覚を深めつつある。

鄧小平の「韜光養晦」という教えは、胡錦濤時代までは守られてきたが、いまや習近平は、中国の達成した国力を背景に、世界に向って積極的に打って出る戦略に切り替えている。これには、2010年に世界第二の経済大国になり、また、21世紀半ばごろまでには世界一の経済大国になるという自負が背景にある。その自負をもとに、中国が今後の世界秩序の中心になっていくのだという、気負いが習近平からは感じ取れる。要するに中国は変ったのである。これまでのような、周辺国扱いの対象である弱い中国ではなく、かつての抑圧者だった欧米列強と互角にわたりあえる強い中国になったのだ。それを習近平は「中国の夢」と称して、中国人の愛国心を掻き立てるとともに、中国を再び欧米列強の食い物にはさせないという強い決意を込めているわけである。

こうした強い中国に敏感に反応したのはアメリカだった。アメリカは、中国がこれ以上強くなることに恐怖感を覚えるようになった。いままでは、地球全体を自分たちの思い通りに動かしてきたのに、これからはそうは行かなくなるかもしれない。中国がアメリカに対抗するからだ。だから、なんとかして中国を押さえ込まねばならない。そうしたアメリカの強い危機感が、対中国包囲網の形成に進ませている。バイデンのそうした政策を見ると、そこには二十世紀初頭に吹き荒れた黄禍論の再来を思わせるものがある。二十世紀の黄禍論は、中国人労働力をアメリカから締め出すことを目的としていたが、新たな21世紀の黄禍論は、中国の国力を疲弊させることを目的としている。そうした黄禍論の発想はトランプに既に見えていたが、バイデンはそれをさらに徹底させ、人種戦争的な色合いを帯びるようになってきている。

アメリカを中心とした白人国家群と黄色人種の牙城と見なされる中国との対立は、世界中を巻き込んだ全面戦争に発展しかねない勢いだ。バイデンのかたくなな姿勢と、習近平の強気な態度からみれば、その全面戦争はいつ現実化してもおかしくない。21世紀の地球は俄然きな臭くなってきつつある。

そうした情勢の中で、日中関係はどうなっていくか。日本の伝統的な対中政策は、中国を目下の連れ合いと見なすものであった。これは維新政府以来の日本政府の伝統的な政策だ。先の敗戦までは、中国は絶えざる侵略の対象だったし、戦後の国交回復後は、日本経済にとって都合のいい市場であり続けた。戦前戦後を通じて、日本側はつねに、中国に対して兄貴分を気取り、上から目線で中国を見ることが出来た。それに対して中国は、基本的には日本の期待に応えてきた。戦前と戦後しばらくはともかく、国交回復後は、中国のほうから日本に教えを乞うてきた。そうした中国の謙譲ぶりに対して、兄貴分を気取る日本側も鷹揚に応えてきた。もっとも、それは、対中関係が日本にも利益をもたらすという計算があってのことだ。

ところが、中国が強大になり、欧米による秩序に挑戦するような実力を蓄えると、一部の日本人にもバイデンと同じような危機感を持つものが現われた。安倍晋三はその中心である。安倍は、トランプやバイデンに先駆けて、中国への危機意識を強めた。かれが称えた「インド太平洋構想」は、台頭する中国を封じ込めて、その発展を妨害するという構想を含んでいた。安倍は、日本が中国の風下に立たされることが我慢ならなかったのだろう。だがいまや世界第二の経済大国になった中国を、日本単独で牽制することは非現実的だ。そこで、欧米諸国やインドを巻き込んだ形で中国包囲網を形成したいと考えたようである。もっともその構想は一旦頓挫する。中国とあまりにも深く結びついた今の日本にあって、中国と全面的に対立することは、大きな経済リスクを伴う。そこに気づかざるをえなかった安倍は、振り上げたこぶしを一旦おさめ、習近平を国賓として招待することで、日中関係をひとまず安定させる政策に舵を切らざるをえなかった。

ところが、バイデンが中国への敵意をむき出しにして、対中全面戦争も視野に入れた強硬な政策をとるようになると、日本の対中政策ももとにもどった。バイデンの時代には安倍は降板しており、菅義偉が首相になっていたが、菅は安倍以上に対米従属を重視しているので、バイデンの対中政策に乗った形で、対中包囲網の形成を積極的に呼びかけるようになった。

安倍晋三の構想には、かつての大東亜共栄圏を思わせるものがある。大東亜共栄圏というのは、日本がアジアの指導者となって、そのほかのアジア諸国の独立と安全を守るという建前だったが、じっさいには日本の戦争遂行の目的にアジア諸国の富を動因するというものだった。いずれにしても、日本こそがアジアの盟主たるべきとの主張が盛られていたわけである。安倍のインド太平洋構想には、そこまで露骨な日本中心主義は盛られていないようだが、日本こそがアジアのリーダーであり続けるべきとの思いを込めてはいた。要するに、世界のリーダーはアメリカであり続けるべきだというバイデンの希望を、地域レベルで表現したのが安部晋三の構想だったといえよう。日本はバイデンのアメリカと手を結びながら、アジアにおける主導権を今後も維持していきたい、というのが安倍の構想の基本的な目的だったようだ。

そうした安倍晋三の構想に中国は当初、大した反応は示さなかった。中国は今の日本をアメリカの付属物と見ており、対日関係はそれ自体独立した外交課題にはならない。対日外交は対米外交のおまけみたいに見ている。そうした見方は他のアジア諸国も共通して持っていて、対日外交に大した意義を認めていない。日本は自分自身の意思を持っていないので、アメリカとの関係さえうまくいけば、対日関係もうまくいく。そんな考えがアジア諸国の間で流通しているから、アジアにおける日本の存在感はほとんどないに等しい。最近アジアで実施された関係諸国の影響力調査では、アメリカと中国が大きな存在感を誇る一方、日本は大した存在感を持たれておらず、「その他の国」(要するにアメリカの付属物)に分類されているという笑えない現実もある。

ともあれ、今後の日中関係は、基本的には米中関係の一要素に過ぎない扱いを受け続けるだろう。日本がアメリカの属国として、アメリカの意図に従って動き続ける限り、中国も日本を対等な外交相手として見る動機を持たないであろう。日本が対中関係を含め、アジアにおける存在感を高めるためには、対米従属の度合いを緩め、少しでも自主権を確立することが必要である。



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