藤は初夏に花を咲かせるので、夏の季節感を強く感じさせる。その花は、大きな房となって密生し、非常にボリュームを感じさせる。そんなことから藤波と呼ばれることもある。万葉集には、藤を藤波と表現したものが結構ある。それも含めて藤を詠った歌が、万葉集には二十六首ばかりある。 まず藤波のさかんに咲き誇るさまを詠った歌。 藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君(0330) 歌手は大宰府の防人の次官大伴四綱。大宰府の長官大伴旅人に向けて詠んだ歌といわれる。さかんに咲き誇る藤の花を見て、奈良の都を思い出しませぬか、と奈良を離れて遠く大宰府に赴任している旅人を思いやっての歌。 次は山部赤人の藤を詠った歌。 恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり(1471) あなたが恋しい形見にしようと思って植えた我が家の藤が、今をさかりと咲いています、と藤の花の咲き誇った様子を、飾り気なく大らかに詠ったもので、いかにも赤人らしい叙情性を感じさせる歌だ。 藤は初夏に咲く花で、その点では初夏に渡ってくるほととぎすと結びつく要素がある。万葉集にも藤とほととぎすを結びつけて詠んだ歌が数首ある。次はその一つ。 藤波の散らまく惜しみ霍公鳥今城の岡を鳴きて越ゆなり(1944) 藤の花が散るのを惜しんで、ほととぎすが今城の岡を越えて、藤のもとへと飛んでゆく、という趣旨だろう。今城の岡は奈良県吉野町大淀町の今木のことをさすのだろうと推測される。 藤は花の形が派手なこともあって、乙女の可憐さといったイメージは喚起しなかったようである。それでも中には、藤の花に思い人のイメージを重ね合わせる歌もないではない。 春へ咲く藤の末葉のうら安にさ寝る夜ぞなき子ろをし思へば(3504) 春に咲く藤の末葉のようなあの娘のことを思うと、こころ安らかに眠れない、という趣旨。藤の花そのものではなく、藤の末葉に乙女の面影を重ね合わせているところが面白い。 藤は初夏に咲く花であるが、季節はずれに咲くこともあるようで、そんな季節はずれの藤の花を詠んだ歌もある。 我が宿の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹が笑まひを(1627) 我が家に咲いた季節はずれの藤の花がめずらしくて、それを見るとあなたの笑顔を思い出します、という趣旨。これは大伴家持が坂上大嬢に送った二首の歌の一つ。家持は夏に咲くべき藤と秋にさく萩とが同時に咲いたので、それらをともに大嬢に贈ったのだった。ちなみに、萩を詠った歌は、「我が宿の萩の下葉は秋風もいまだ吹かねばかくももみてる」というもの。 藤の弦は粗末な作業着の材料になった。そんな作業着を着た海女を詠んだ歌がある。 須磨の海女の塩焼き衣の藤衣間遠にしあればいまだ着なれず(0413) 須磨の浦の海女の着ている塩焼き用の衣は、目が粗いので着慣れぬように見えぬ、と言う趣旨。間遠には、衣の繊維の目があらいことと、会う間隔が長いことをかけている。大網公人主が宴会の席上戯れて詠んだ歌だ。 以下の二首は大伴家持の藤を詠んだ歌。 藤波の花の盛りにかくしこそ浦漕ぎ廻つつ年に偲はめ(4188) 多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため(4200) 一首目は、藤の花の盛りの季節に浦を漕ぎつつ年毎にながめ楽しもうという趣旨、布施の湖に遊覧した際のことを詠った長歌の反歌である。二首目は、多胡の浦の底まで映える藤の花をかざしていこう、まだ見ぬ人のために、と言う趣旨。これも布施の湖遊覧のさいの歌。 |
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