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河内の大橋を独り行く娘子:万葉集を読む


万葉集巻九には、水江の浦島子の歌に続いて、同じく高橋虫麻呂の「河内の大橋を独り行く娘子を見る歌」が収められている。浦島子の歌が、民間の伝承に取材した作品だとすれば、これはたまたま見聞した自分の体験を踏まえた作品だ。日常の出来事をさりげなく描いているという点で、写真でいえばスナップショットのような作品である。

  しな照る片足羽川(かたしはがは)の さ丹塗りの大橋の上ゆ 
  紅の赤裳裾引き 山藍もち摺れる衣着て 
  ただ独りい渡らす子は 若草の夫かあるらむ 
  橿の実の独りか寝らむ 問はまくの欲しき我妹が 
  家の知らなく(1742)
   反歌
  大橋の頭(つめ)に家あらばま悲しく独り行く子に宿貸さましを

しな照る片足羽川の、朱色に塗られた大橋の上を、紅色の裳裾をひきずり、山藍で青く染めた衣を着て、ただ一人で渡るあの娘子には、若草のような夫がいるのだろうか、それとも樫の実のように一人で寝ているのだろうか、ぜひ聞いてみたいものだが、その子の家のありかがわからないのだ。
反歌のほうは、その大橋のたもとにわたしの家があったなら、一人で悲しそうにゆくあの娘子に、宿を貸してやるのだが、という趣旨。

「しな照る」は片の枕詞。「山藍もち」は山藍を以て、「若草の」は夫の枕詞、「橿の実の」は一人の枕詞、「頭」は橋のたもとのこと。

片足羽川は、現在の大阪市の東郊で、大和川が河内の国に入って流れる部分を呼んだ言葉らしい。大橋はその川にかかる橋だと思うが、その位置はわからない。ただ大橋というくらいだから、立派な橋だったのだろう。その橋を、虫麻呂は難波に出張した際に見た。それも一人の女がその橋を渡るところをである。虫麻呂はその様子に詩情のようなものを感じ、この歌を詠んだのだと思われる。

歌の内容は、女性に対する虫麻呂の慕情をテーマにしているのだが、女性の描き方は、外面的で余韻を感じさせず、歌全体として単調な感じを与える。大岡信などはこの歌を、日常生活の一こまを取り上げて歌った点で、前例のない新しさを感じさせるといって褒めているが、筆者などは、褒めすぎだと思う。この歌を読んでも、情緒の豊かさを感じさせられることはないし、また、万葉時代の風俗や人情の一端に触れられるというわけでもない。





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