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大伴家持:花鳥の歌(万葉集を読む)


大伴家持は花鳥を愛した人らしく、花や野鳥を詠んだ歌が多い。花鳥を主題にして歌を詠むということは、人麻呂や赤人の時代にはなかったことである。ここに、風雅の人大伴家持の新しさがある。家持は、様々な点で、万葉と古今以後との歌風をつなぐ歌人といわれるが、その真髄は花鳥を好んで詠む姿勢にあった。

家持の家持らしいところは、花鳥を長歌の形式において詠んだところである。古今以後、花鳥を詠んだ歌人はおびただしくいるが、長歌に歌ったものはまず絶無だろう。

まず、家持が越中にあって、庭の花を眺めながら、妻を偲ぶ歌を味わっていただきたい。

―庭中の花をみてよめる歌一首、また短歌
  おほきみの 遠の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま
  み雪降る 越に下り来 あら玉の 年の五年(いつとせ)
  敷妙の 手枕まかず 紐解かず 丸寝(まろね)をすれば
  いふせみと 心なぐさに 撫子を 屋戸に蒔き生ほし
  夏の野の 早百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに
  撫子が その花妻に 早百合花 ゆりも逢はむと
  慰むる 心し無くば 天ざかる 夷に一日も あるべくもあれや(4113)
反歌二首
  撫子が花見る毎にをとめらが笑まひのにほひ思ほゆるかも(4114)
  早百合花ゆりも逢はむと下延(ば)ふる心し無くば今日も経めやも(4115)

屋敷の庭に花を植えて楽しむ風潮は、平城京時代に広まったとされる。家持もまた、庭に、撫子や百合をはじめ、多くの花を植えては、季節の彩としたのであろう。これは、夏の庭に咲く花を歌ったものである。

家持は、独り雛の地にあって、花を眺める慰めがあるからこそ生きる甲斐があるのだと歌う。そして、それらの花に事寄せて、京に残した妻の面影を求める。(4114)の歌は、撫子の花から妻の笑みを思い出すといい、花のにおいが妻のにおいを連想させると歌う。草花に託して、己の情を述べるのは、父旅人が風景に託して亡妻を偲んだのと、どこか共通するところがある。

次の歌は、上の歌のすぐ前に配されたもので、橘を讃えた長歌の反歌である。

  橘は花にも実にも見つれどもいや時じくに猶し見が欲し(4112)

橘は家持がもっとも愛した花であった。家持は政治的には橘諸兄に近かったから、あるいは諸兄を意識してそう振舞ったのかもしれない。

次の歌は、越中の官人たちが石竹というものの館で宴を開いた際、主人が百合の花かずらを客人たちに贈ったのに応えて、家持が自分に贈られた花かずらを歌ったものである。

―同じ月の九日、諸僚少目秦伊美吉石竹の館に会ひて飲宴す。その時主人、百合の花縵三枚を造りて、豆器に畳ね置き、賓客に捧贈ぐ。各此の縵をよめる歌三首
  燈火(あぶらひ)の光に見ゆる我が縵早百合の花の笑まはしきかも(4086)
右の一首は、守大伴宿禰家持。

かずらに結ばれた「早百合の花の笑まはしきかも」と、感覚的な表現が素直で美しい。

家持はまた、野鳥の歌も多く作っているが、中でもホトトギスを好んだようだ。次の歌は、ホトトギスと藤の花を詠んだものである。

―霍公鳥また藤の花を詠める歌一首、また短歌
  桃の花 紅色に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに
  青柳の 細(くは)し眉根(まよね)を 笑み曲がり 朝影見つつ
  をとめらが 手に取り持たる 真澄鏡(まそかがみ) 二上山に
  木(こ)の晩(くれ)の 茂き谷辺を 呼び響(とよ)め 朝飛び渡り
  夕月夜 かそけき野辺に 遙々(はろばろ)に 鳴く霍公鳥
  立ち潜(く)くと 羽触(はぶり)に散らす 藤波の 花なつかしみ
  引き攀(よ)ぢて 袖に扱入(こき)れつ 染(し)まば染むとも(4192)
反歌
  霍公鳥鳴く羽触にも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花
一ニ云ク、散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花(4193)

歌い出しの乙女の部分は、二上山にかかる序詞であるが、その山を飛び交うホトトギスと、ホトトギスの羽音が散らす藤の花のイメージへと自然とつながり流れ、優雅な印象をもたらしている。

「かそけき野辺に 遙々に 鳴く霍公鳥」とは、家持らしい繊細な歌いぶりだ。そのホトトギスの羽の揺るぎで散り掛かった藤の花を、「引き攀ぢて 袖に扱入れつ 染まば染むとも」と歌う、当時の人々には斬新な風流と写ったであろう。

ホトトギスを愛する家持は、次のような歌も作っている。

―立夏四月、既く累日を経て、由ほ霍公鳥の喧を聞かず。恨みてよめる歌二首
  足引の山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ(3983)
  玉に貫く花橘を乏(とも)しみしこの我が里に来鳴かずあるらし(3984)
霍公鳥は立夏日、必ず来鳴きぬ。又越中の風土、橙橘希なり。此に因りて大伴宿禰家持が懐を感発けて、此歌を裁めり。三月二十九日。

夏の立つ日には必ずやって来て鳴くホトトギスが、今年はどうしたわけか鳴かない。二首目では、橘が乏しいから来ないのかと心配して見せる。野鳥の訪れを心待ちにする気持ちが素直に現れていて、読んで清々しい歌である。






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