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大伴家持と防人たち(万葉集を読む)


大伴家持は、防人を筑紫に送り出すために難波津に滞在した一ヶ月ほどの間に、防人から提出された歌を編集して歌日記に書きとどめるとともに、自身も防人を歌った長歌三首を作った。家持は東国からやってきた防人たちの、飾らない歌いぶりに感動したのであろう。自身を防人の身に事寄せて、その気持をくみ上げようとする気持がよく出ている。

それでも一首目は、家持特有の丈夫意識が顔をのぞかせ、官人としての立場から、防人への鼓舞と期待が前面に出すぎていた。その分、防人自身の思いは弱いものとならざるを得なかった。家持は、そのことを反省したのか、二首目では防人の立場に接近しようとつとめ、防人の感情を強く表現しようとした。歌の調子も、一首目とは大分異なったものになった。

大伴家持は、この二首を踏まえて三首目を作った。集められた防人たちの歌に一通り目を通し、それらを十分に読み取った上で、防人の真情を歌い込もうとしたのである。今ここで、その歌を味わってみよう。

―防人の悲別の情を陳ぶる歌一首、また短歌
  大王の 任(まけ)のまにまに 島守(さきもり)に 我が発ち来れば
  ははそ葉の 母の命は 御裳(みも)の裾 摘み上げ掻き撫で
  ちちの実の 父の命は 栲綱(たくづぬ)の 白髭の上ゆ
  涙垂り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただ独りして
  朝戸出の 愛しき吾が子 あら玉の 年の緒長く
  相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問せむと
  惜しみつつ 悲しびいませ 若草の 妻も子どもも
  をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ
  白妙の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと
  引き留め 慕ひしものを 天皇(おほきみ)の 命かしこみ
  玉ほこの 道に出で立ち 岡の崎 い廻(たむ)むるごとに
  万(よろづ)たび かへり見しつつ はろばろに 別れし来れば
  思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを
  うつせみの 世の人なれば 玉きはる 命も知らず
  海原の 恐(かしこ)き道を 島伝ひ い榜ぎ渡りて
  あり巡り 我が来るまでに 平らけく 親はいまさね
  つつみなく 妻は待たせと 住吉の 吾が統神(すめかみ)に
  幣(ぬさ)まつり 祈り申して 難波津に 船を浮け据ゑ
  八十楫(やそか)貫き 水手(かこ)ととのへて 朝開き 我は榜ぎ出ぬと
  家に告げこそ(4408)
反歌
  家人の斎へにかあらむ平らけく船出はしぬと親に申(まう)さね(4409)
  み空行く雲も使と人は言へど家苞(いへづと)遣らむたづき知らずも(4410)
  家苞に貝そ拾(ひり)へる浜波はいやしくしくに高く寄すれど(4411)
  島陰に我が船泊てて告げやらむ使を無みや恋ひつつ行かむ(4412)

歌は「大王の 任のまにまに」と始まっているが、それには一首目におけるような、天皇への丈夫としての忠誠の響きはない。防人たちがいっているのと同じ次元で使われている。この歌に盛られているのは、防人の父や母、妻や子に対する気遣いであり、それは、「ははそ葉の 母の命は」、「ちちの実の 父の命は」と繰り返すところに表れている。

「若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ  白妙の 袖泣き濡らし」の部分は、この歌の最も力強い部分である。家持は、防人たちの歌に、妻子と引き裂かれた男たちの切ない気持を読み込んで、このように感情移入するに至った。これには、山上億良の家族愛の響きがこだましているようである。家持にはもともと、億良に通じるような人間的な優しさがあり、それが、防人たちの歌とのかかわりを通じて、ついにほとばしり出てきたのである。






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