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ルネ・デカルト:ヨーロッパ近代哲学の祖


ルネ・デカルト Rene Descartes(1596-1650) は、ヨーロッパ近代哲学の祖である。デカルト以後のヨーロッパの哲学者は、20世紀の始まるころまで、デカルトの確立した路線の上に展開してきた。それは、簡単に言えば、経験主義であり、また、意識至上主義であった。デカルトの経験主義は、21世紀になっても意義を失っていない。一方、意識至上主義のほうは、フロイトやベルグソンが無意識に注目して以来、批判の対象とされるようにはなった。しかし、完全に否定されたわけではない。そういう意味では、デカルトはいまだに、ヨーロッパの哲学を大きく規定する存在だといえる。

まず、デカルトは哲学を思弁ではなく、経験に立脚させた。そして哲学する人間をひとりの個人として発見した。デカルトの有名な命題「我思う、故に我あり」は、哲学を人間の意識の上に基礎付けるものとして解釈されているが、この意識の担い手としての個人は、哲学の主体としてはデカルト以前には存在しなかったものである。しかしそれはデカルト以後においては、あらゆる哲学の端緒となった。この意味で、デカルトは近代哲学の出発点を定めたのだといえる。

しかしそれは同時に、哲学を認識論の狭い枠組みの中に閉じ込める端緒ともなった。それは世界を人間の認識作用の随伴者と見る、近代哲学特有の態度に基礎を与えたのである。

だが意識と存在との間には、大きな溝が生じることともなった。この溝は、近代哲学にとって、越えるべくして容易には越えることのできない、巨大な課題となった。デカルト以後のあらゆる哲学者たちは、この溝を埋めるために格闘してきたともいえるのである。

これを筆者は、西洋近代哲学のテーゼは「意識の呪縛」との戦いだったと総括している。


西洋哲学におけるデカルトの位置

デカルトにおける学問の方法


デカルトのコギト Cogito ergo sum

デカルトの二元論:精神と物体

デカルトの情念論

自然科学者としてのデカルト

デカルトにおける神の存在証明



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