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イスラエルとパレスチナ:対立の歴史と現状、未来の可能性


イスラエルとパレスチナの対立は、20世紀の半ばから21世紀の今日にいたるまで、世界でもっとも深刻な民族対立であり続けた。その対立は、イスラエルによるパレスチナへの非対称的な攻撃という形をとり、その結果厖大な数のパレスチナ人が殺されたり、あるいは難民の境遇に陥った。そのため、この問題は「パレスチナ問題」として認識された。こういう問題を引きおこしたきっかけは、ユダヤ人たちがパレスチナの地に自分たちの国家を作り始めたことにある。ユダヤ人によるパレスチナの地におけるイスラエル国家の建設が、イスラエルとパレスチナとの非妥協的な敵対関係を生んだといってよい。

そのイスラエルの建国は1948年のこと。小生が生まれたのもその年であるから、同じ年月を生きてきたわけだ。その小生がイスラエルを強く意識したのは、1967年の第三次中東戦争だ。この戦争は、イスラエル対全アラブ世界の対立という様相を呈したが、イスラエルは破竹の勢いで、わずか六日間で完璧な勝利を収めた。この戦いに勝ったイスラエルは、ヨルダン川西岸、ゴラン高原、シナイ半島を占領し、その結果大量のパレスチナ難民が生まれた。パレスチナ難民は、イスラエル建国の際にも大量に生まれていたわけだが、いまや従来パレスチナであった地域がすべてイスラエルによって占領されたわけで、パレスチナ人は国家のよりどころを失うことになったわけである。

この戦争を契機にして、国際社会のイスラエルに対する見方が多少は変わった。それまでは、イスラエルはユダヤ人が建国したもので、そのユダヤ人は長い間諸国で流民としての迫害を受け、第二次世界大戦中には、ナチスによるホロコーストの対象とされて、言語を絶する苦難にさらされてきた。だから、かれらがパレスチナの地にイスラエル国家を建設することは、民族の生き残りにとって必要なことであったし、また理解できることであるといった、同情的な見方が支配的であった。ところがこの戦争に勝利したイスラエルが、占領地を抑圧的に支配するようになると、その傲慢さが国際世論をイスラエルに対して批判的にさせるようになったのである。

パレスチナ人にしてみれば、従来自分たちが住んでいた土地にユダヤ人たちがやってきて、最初のうちはおとなしく同居していたが、そのうち自分たちを強引に追いだして、自分たちの土地を勝手に収用し、その上にイスラエル国家なるものを作ってしまった。しかも1967年の戦争の結果、パレスチナの土地全体がイスラエルの支配下になり、パレスチナ人のすべてが国家のよりどころを失った。ということは、パレスチナ人にとって、イスラエルは侵略者以外の何物でもないであろう。

イスラエルは、自分たちは無人の荒野を切り開いて国家を建設したのだというが、それは全くの嘘である。その嘘を、イスラエル人は自分らの子どもたちにも教えている。アメリカを始め世界中に住んでいるユダヤ人たちも、それと同じように教えられて、イスラエルはユダヤ人が無人の荒野を開拓して建国したところなのだと、本気で信じているようである。その嘘は、かつてのアメリカ人が、先住民族であるいわゆるインディアンの存在を無視して、自分たちは無人の荒野を開拓して国づくりをしたのだという伝説を流布していたのと通じるところがある。さすがにアメリカの場合には、先住民族の存在を認めて、彼らに対してアメリカ人が行った不正行為を謝罪したようであるが、イスラエルの場合には、いまだにパレスチナ人を無視するような態度を続けている。

こうしたイスラエルの態度は、当然、国際社会の強い批判を浴び、国連もパレスチナ人の置かれている境遇を問題視している。いまさらイスラエルの建国そのものをなかったことにはできないだろうが、すくなくとも1967年以来の占領地はパレスチナ人に返還して、イスラエルとパレスチナ人とが平和的に共存すべきだという意見が強い。だが、イスラエルはその意見に耳を傾けようとはしない。かえって占領地での入植を進めるなど、事実上併合の動きを続けている。その動きは、ネタニアフ政権になってから加速している。そうした動きを、トランプのアメリカが後押しするようになって、イスラエルはますます傍若無人の振舞いをするようになり、占領地の併合はもとより、パレスチナ人の存在そのものまで抹殺しようと考えるようになったようだ。イスラエルのユダヤ人にとっては、占領地のパレスチナ人はもとより、イスラエル国内に住んでいるアラブ系市民(かつてのパレスチナ人)までも、追放しかねない勢いである。

イスラエルはなぜ、こうした態度をとれるのであろうか。色々な要因が指摘できる。ひとつには、アラブ側に比較してイスラエルの国民的一体性が強いということがあげられる。イスラエルはアラブ世界と何度も戦争や武力衝突を繰り返してきたが、一度でも負けるとそれで終わりだという強い危機意識がある。それに対してアラブ側にはそうした危機意識はない。奪われたものを取り戻そうという感覚だ。そのうえ、民族としての一体性が弱い。最初のうちはアラブの大義と称して共同してイスラエルに対抗していたが、かなわないとみると、次々と戦線を脱落し、いまではパレスチナ人をまともに応援しようとする動きはほとんどないに等しくなった。その結果、パレスチナ人は強い孤立感を抱かざるを得ない状況に追い詰められている。

そうした状況は、9.11以降一層強まった。この事件がきっかけでイスラモフォビアが世界中にはびこるようになり、誰もイスラムのパレスチナ人に同情するものがいなくなった。だから、イスラエルがパレスチナ人にひどいことをしても、従来ほど非難されることもなくなった。トランプなどは、イスラエルの占領地への入植を認める発言をし、イスラエルの不法なやり方を擁護する有様である。それに勇気づけられる形で、イスラエルは占領地の併合に向けてますます意欲的な行為に乗り出すだろうと思われる。

戦争によって他国の領土を獲得することは、国際法上認められていない。それゆえイスラエルは、パレスチナの土地はもともとユダヤ人のものだったので、したがって他国ではなく、自分たちの土地だったものを取り返したに過ぎないという理屈を弄しているが、それは屁理屈というべきだろう。

ともあれ、イスラエルとパレスチナ人とは、同じ土地をめぐって対立しているわけである。だから一方の言い分を無理に通そうとすれば、片方の言い分を粉砕するしかないわけで、それは全面戦争を意味する。全面戦争で相手を殲滅すれば、後の憂いもなくなる道理だが、ある民族を一人残らず殲滅することなど、ナチスのホロコーストでさえもできなかったことだ。そのできなかったことをイスラエルのユダヤ人は、パレスチナ人を相手にしようといているかのように見える。もっとも彼らにとっての殲滅のイメージは、パレスチナ人を肉体的に消滅させることだけではなく、周辺のアラブ諸国に引き取らせることも含んでいるようだが。

イスラエルとパレスチナ人との対立の歴史は、20世紀の初頭に遡る。その頃に、ヨーロッパからシオニズムを追求するユダヤ人たちがやってきて、最初はパレスチナに合法的に住み着いた。それが次第に大規模に移住するようになって、ついにはパレスチナ人を追い出して、その土地にユダヤ国家を建設したわけだ。そうした一連の動きは、イスラエルとパレスチナだけに視点を合わせても、なかなか本質が見えてこない。やはり時々の国際関係と関連付けながら見る必要がある。小生はそうした見地から、イスラエルとパレスチナの関係についての歴史を概観したいと思う。もとより小生はこの問題の専門家ではなく、たんに好事家の関心からアプローチするにすぎないが、その素人の目から見てもおかしなことだらけのイスラエル・パレスチナ関係を、なるべく曇りのない目で見ていきたいと思う次第である。


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