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新井白石「東雅」を読む


「東雅」は、語源解釈を中心とした語義解釈辞典というべきものである。古い日本語の成り立ちや特徴が浮かび上がるように配慮されている。いまでも日本語語源辞典としての意義を失っていない。白石がこれを作ったのは、失脚後間もなくのことで、その頃子供相手に学問を教えていたのだが、講義の中心が古い日本語について説き明かすことだった。その講義を集大成したのがこの辞典で、享保四年に現在の形に完成した。この辞典を白石が「東雅」と名付けたのは、中国最古の辞典「爾雅」を意識している。「東雅」とは、東の国、つまり日本の「爾雅」というわけである。

白石がこの辞典を作成する気になったについては、直前の享保元年に、日本の古代史である「古史通」及び「古史通或問」を書いたことが機縁となっている。日本の古代史を研究するには、古い文献にあたる必要があり、それらを正しく読むには、古い日本語についての深い理解が求められる。そのような自覚に立って白石は、古い日本語についての体系的な理解につとめ、その成果を辞典というかたちにまとめたわけである。

総論及び本論二十巻からなっている。本論の構成は、天文、地與、神祇、人倫、宮室、器用、飲食、穀蔬、草莽、樹竹、禽獣、鱗介、虫豸の十五部からなり、合わせて約七百の言葉を見出し語としてあげて、それぞれについて考証を施してある。考証の中身は主として語源の解釈からなる。

七百ある見出し語の最初のものは「天 アメ」である。白石はそれぞれの見出し語を漢字とカタカナで表記したうえで、それらの語義を考証している。この「天 アメ」については、「義不詳」と書いてある。つまりこの言葉の語義はまだよくわからないといっているわけだ。このように、わからぬものをわからぬと正直に書くところが白石の白石らしいところで、そこに白石の実証を重んじる姿勢を見る見方もある。

だが、義不詳で終わらせては、辞典としての価値はない。そこで白石は、「天 アメ」にまつわる推測を記す。我が国上古の言葉のなかで、アメといいながら内実の異なる言葉は多くあったと思われるが、アメを「天」と漢字で書くようになって以来、天以外の意義は次第に隠れるようになった。こういうことで白石は、日本語は音韻が少ないために、色々な事柄を同じ言葉で言い現わすケースが多いことを指摘する一方、漢字を取り入れた結果、日本語本来の言葉の用い方に大きな変化が現れたと主張しているように思える。

白石の語義解釈は一定の言語理論を背景にしている。その言語理論を白石は「総論」の中で展開している。それを読むと、古い日本語についての白石の考え方や、それが今流通している日本語へと変化してきた経緯が明らかになる。白石は、同じ時代の日本語にも、方言による違いがあり、同じ方言でも優雅な言葉と俗な言葉の違いがあると言って、日本の場合には、言葉が、地方や階級によって異なって用いられていることに注目している。そんなことから、古今の日本語に通じようとするには、それが用いられている時代や世相を考慮にいれなくてはならぬという。それを白石は「まづ其世を論ずべき事」といっている。

白石は、諸外国の言葉についても関心を持っていた。その関心は、隣国の支那、朝鮮にとどまらず、インドや遠くヨーロッパの言葉にも及んでいた。それ故白石は、比較言語学的な観点から日本語の特徴を論じることができた。

白石の考えた日本語最大の特徴は、音韻が少ないということであった。そこから同じ言葉でさまざまな事柄を意味するようになったと考えた。また、その音韻を表現する文字については、日本語には五十音があるといって、それを諸外国と比較している。最も強く対立するのは西洋語である。おそらくイタリア語を念頭に置いているのだろうが、西洋語はわずかな文字数(白石は33文字といっている)で膨大な規模の語彙を表現する。これに対して支那語は膨大な数の漢字を用いてひとつひとつの言葉を違った文字で表現する。日本語はその中間だが、なぜか音韻の数が少ない。その理由はわからないままにしてあるが、その結果どのようなことが生じたかについては、かなり意識的に考察している。

まず、上述したように、日本語には同音異義語が非常に多い。たとえば「ヒ」という言葉。これは「火」をあらわすこともあれば、「日」をあらわすこともある。その他、氷、刀、檜、樋、霊、善、間、並なども古語では「ヒ」といった。

また、日本語には支那やインドから入って来た外来語が非常に多いが、これも日本語に音韻の数や単語の数が少ないため、新しい事象をあらわすのに、外国語を転用したほうが便利だったためではないか、と白石は推測している。漢語が日本語に転用された例は申すまでもなく明らかであるが、インド由来の外来語も意外と多い。そう白石は言って、梵語から日本語に転化した例を多く上げている。「猿をマシラといひ、杜鵑をホトトギスといひ、水をアカといひ、南風をハエといひ、界をタツキといひ、焼をタクといひ、斑をマダラと」いうたぐいである。面白いのは、「痴なるをバカといひ、無知をバカラシなどいふは、募何を翻して痴といひ、摩可羅翻して無知といふと見えたり」と言っていることである。バカという語を印度起源の外来語だとする見方は根強くあるが(司馬遼太郎など)、その嚆矢はどうやら白石だったようである。

白石はまた、転語ということも言っている。これは今日の言語学で「音韻変化」と呼ばれるもので、外国語と比べた日本語の著しい特徴である。言葉の変遷はどこの国の言葉にも見られるが、日本語程変化の激しい言葉はめずらしい。その原因は音韻変化にあると白石は考えたわけだ。そういう点では、白石は橋本進吉の説を遥か昔に先取りしていたわけで、日本語について優れたセンスをもっていたことをうかがわせる。


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