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新井白石「西洋紀聞」を読む


宝永五年(1708)十月、イタリア人宣教師シドッティが屋久島に上陸し、長崎を経て翌年江戸に移送されてきた。その頃幕府の要職にあった新井白石は、数回にわたってシドッティを尋問し、それにもとづいて幕府としてとるべき措置を上申した。それは三つの選択肢からなっていて、本国送還を上策、監禁を中策、処刑を下策としていたが、幕府がとった措置は中策の監禁であった。シドッティは茗荷谷の切支丹屋敷に監禁され、正徳四年(1714)十月に死んだ。

「西洋紀聞」は、シドッティとの問答のやりとりを簡潔に記したものである。三巻からなり、上巻はシドッティが密入国してから江戸へ移送されてくるまでのいきさつ、中巻は世界地図をもとにしての世界情勢の把握、下巻は白石とシドッティの間で交わされた問答の概要を記している。白石はこの記録を私的なものとして作成し、積極的に公開する意図は持たなかったが、幕府から求められれば提出するように遺言していた。その遺言に従って幕府に献上されたのは、三世の孫成美の時である。

上巻の記事には、シドッティが獄死したことや、シドッティから洗礼を受けた日本人夫婦のことについて触れられているが、最終的に仕上げられたのはシドッティの死後、白石晩年のことと思われる。

全巻のハイライトは、白石とシドッティの問答を記録した下巻である。白石の問いにシドッティが答えるという形をとったこの問答には、シドッティが西洋人として日本について抱いていたイメージとか、西洋の思想に対しての白石の意見がうかがわれ、なかなか面白いものがある。そのやりとりのいくつかを、ここに取り上げてみよう。

白石はシドッティを大西人と称している。これは白石なりに、シドッティへの敬意を表しているのだろう。その敬意は、単身危険を犯しながら日本へ布教にやってきたその勇気、日本を含めた世界の状況をよく理解していること、物おじせず白石と対等に接しようとするその礼節などを、白石が高く評価したことから来ているのだろうと思う。

白石はまず、西洋諸国が外国に布教するのはどのような動機からなのかと聞く。それに対してシドッティは、別にその国を侵略するつもりはない、という。キリスト教を布教することで、その国の民を正しい道に導いてやりたいのだと。実際そうした布教が感謝された例もある。例えばメキシコやルソンだ。これらの国々は、以前は野蛮なものだったが、キリスト教に導かれた西洋文明に接してからは、自ら積極的に西洋によって統治されることを願った。

日本は極東の小国にすぎず、またキリスト教を禁止しているにもかかわらず、なぜそんな国に布教する気になったのか、との白石の質問には、シドッティは、国の価値は国土の規模の大小や距離の遠近では測られないと答え、日本がキリスト教を禁止したのは、オランダ人にだまされたせいなのだから、その誤解を解いて、日本人を正しい道に導きたいという。しかし、その正しい道とは、キリストの説く道であり、その内容は、天主だけを尊ぶべきだということについて、白石は違和感を隠さない。「その教とする所は、天主を以て、天を生じ、地を生じ、万物を生ずる所の大君・大父とす。我に父ありて愛せず、我に君ありて敬せず、猶これを不孝・不忠とす」といって白石は、シドッティの意見に反対を唱えるのだ。

そこで、キリスト教の教義をめぐって熱い問答が交わされる。問答の内容は、主としてシドッティによる聖書の講釈である。その講釈を聞いた白石は、いよいよキリスト教への疑問を深める。そのあげくに、「西人其法を説く所、荒誕浅陋、弁ずるにもたらず」と喝破するに至る。

白石は、キリスト教の教義に潜む矛盾を次のように指摘する。天地万物は自ら生じたのではなくデウスがこれを生じたとするのならば、「デウス、また何者の造るによりて、天地いまだあらざる時には生まれぬらむ。デウス、もしよく自ら生まれたらむには、などか天地もまた自ら成らざらむ」

白石はまた、アダムとイブによって犯された人類の原罪を償わんとして、デウスが三千年の後にキリストとなって現れたとする聖書の説を、「いかむぞ嬰児の語に似たる」といって嘲笑してさえいる。

こんなわけで、白石とシドッティの問答というか対話はかみあわない。面白いのは、白石がキリスト教の教義を、仏教と関連させて理解しようとしていることだ。「今エイズスの法を聞くに、造像あり、受戒あり、灌頂あり、誦経あり、念珠あり、天堂地獄・輪廻報応の説あること、仏氏の言に相似ずといふ事なく、その浅陋の甚だしきに至りては、同日の論とはなすべからず」。こう言って白石は、キリスト教を仏教の変形、それも劣った変形と受け取るのである。

以上を踏まえて白石が達した意見は、上巻に次のように記されている。「ここに知りぬ、彼方の学の如きは、ただ其形と器に詳しきことを。所謂形而下なるもののみを知りて、形而上なるものはいまだあずかり知らず」と。白石のいう形而上なるものとは、おそらく朱子学的な世界観をいうのだと思う。白石は、朱子学の立場から、キリスト教と仏教を断罪しているわけだ。


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