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政談4:荻生徂徠の身分制度論


政談巻四は、巻三までの議論を踏まえて、それに漏れた事柄を雑多に並べたものであるが、中でも武士の身分にかかわるものが興味深い。身分についての議論には、婚姻や養子縁組などの問題も含まれる。これらは今の民法体系のなかでも、身分法の一部をなすものだ。

婚姻に金をとることがいまの流行になっていて、その結果思わしくない事態が生じている、と徂徠はまず指摘する。婚姻に金をとるとは、男が女の家に持参金を持たせることを要求することをさすのだろう。それでは、金を払えるものはよいが、払う余裕のないものは、娘を縁づかせることができない。その結果、男も女も生涯独身で、子供を作らぬ者が増えている。これは国家にとってゆゆしき事態だ、と徂徠は考えた。実際、この時代には持参金をとることが流行していたようである。有名な話として、新井白石の娘が婚期を逸したのは持参金を払えなかったからだというのがあるが、これはかなり深刻な問題だったようだ。

一方、多額の持参金をともなって嫁入りした者は、とかく気位が高くなって夫を見くびる者が多い。しかしこれは良くないことだ、と徂徠は考える。「妻は夫に従う事道也。礼也。然るに今の世の風俗、夫の家の格には構はず、其妻の家の格を夫の家へ持ち行きて、奢りを恣にすること、以ての外のこと也」

なかでも大名の妻程埒もないものはないと徂徠はいう。女のたしなみである裁縫・鍼灸もできず、三味線を趣味として夜更かしして遊び、昼頃まで寝ている始末だ。これほど不届きなことはない。自分の快楽を後にして、夫のために尽くすのが妻の道である、そう徂徠はいって、世の中の妻たちの堕落ぶりを嘆くのだが、なぜ女たちがそんなに堕落してしまったのか。そこまでは考え及ばないようだ。

尤も、夫婦関係においては、夫はつまらぬことばかりではない。つまることの最たるものは、妾を持つことが公認されていたことだ。徂徠も、「妾と言ふ者は無くては叶はざる物也」といって、容認している。容認しているばかりか、妾は公然と持つべきで、人の目をしのぶ必要はないとまでいっている。その理由は、本妻に子が出来なければ、妾に産ませる以外方法がないからだ。では、本妻に子が出来たならば、妾を持つことは許されないかといえば、どうもそうではないらしい。妾を持つことは、この時代においては、男の甲斐性として認められていたようである。

妾を持つのはよいが、妾はあくまでも妾であって、妻にしてはならぬと徂徠はいう。本妻は、それなりに婚礼の儀を調えたうえで来たのであるが、妾はただの召使あがりである。したがって女としての教養がなかったり、妓女あがりだったりして、子供の教育もろくにできず、家内の風紀を乱すもととなる。また、世の中には、妾が可愛いあまり、家来たちに敬わせるものもあるが、これも以ての外のことだと徂徠はいう。

子がない場合には、養子縁組という方法があるが、養子縁組の基本は、同族の者からとることで、他姓のものやいわゆる婿養子は本来あるべきものではない。婿養子の制度は、北条政権の時代に、所領を女子に譲ることが認められて以来流行るようになったものだが、やはり望ましくない。本来は、同族の者から養子をとり、その者に家を継がせるべきである、というのが徂徠の考えであった。だいたい婿養子などとは、元来男として我慢すべきものではない、というわけである。

身分制度の次に徂徠が力を入れて論じるのは刑罰についてである。徂徠は、刑罰というものは基本的には公儀が犯罪者に対して行う措置であって、これについて私人は従うべきである。つまり私人による刑罰たる仇討は、望ましくないという立場をとった。徂徠はいう、「人を殺したる者をば公儀よりこれを殺す故、敵討に及ばず。罪の有無を糺して、ゆるし置かるる人は公儀より許し置かるる故、是を討っては常の人殺しになって、其敵討ちたる者は死罪になる也」

刑罰のうち、もっとも重いのは死刑、次いで流刑があり、ほかに徒刑がある。死刑には磔、鋸引、梟首、斬罪、切腹がある。徂徠は、どのような犯罪類型がどの刑罰に対応するか、詳しくは論じていないが、欠落(かけおち)の類まで斬罪にすべしと他の巻で言っているから、かなり厳しく考えていたようである。

死刑の次に重い流罪については、有名無実化しているものが多いと徂徠は論じている。流罪の中で最も重いのは八丈島に流されることであるが、八丈島に流されたといっても、島の中での行動が制約されるわけではなく、罪人は安楽に暮らすことができる。だいたい、八丈島に限らず、日本国内王土でないところはないのだから、どこに流されても罪人は痛痒を感じないはずだ。そんなものを刑罰と言えるだろうか。というのが徂徠の持った疑問であった。

流罪の延長に、御預け、牢下し、改易、追放などという刑罰もあるが、これらは流罪よりいっそう刑罰の名に値しない。特に追放は、戦国時代の遺風であって、今日にはふさわしくない。百姓を追放しても、流れ者になってひそかに江戸に集まって来るだけなのだから、むしろ田畑を取り上げたうえで、そこの小作人として使う方が気が利いている。

面白いのは、出家の淫行を磔にすることについて、徂徠が異議を唱えていることである。ということは、当時は僧の淫行が流行っていたということか。僧の淫行が好ましくないことはいうまでもないが、だからと言って磔にするのは行き過ぎである。還俗させて徒刑に服させる程度がよい。そう徂徠は言うのである。

僧形のなかでも遊行上人は、乞食というべきものであるが、なぜかこれに特典を与えている。遊行上人とは、藤澤の念仏寺を根拠にするもので、かの小栗判官もかかわりがあったが、その遊行上人が熊野をめざして旅をするにあたり、伝馬の便益が供せられていたらしい。徂徠は、これは無益の措置だとするのだが、全廃までは主張していない。藤澤を出る時の人数を定めて、その後一人も増やさないようにすべきだと述べるにとどめている。

刑罰の次には、課税と田畑の売買について触れている。課税については、農民には重い年貢を課す一方、町人には実質的な課税をしていない。これは信長以来の商業振興のための政策が今日までも続いてきているのであるが、時代の状況と乖離している、というのが徂徠の意見であった。町人への課税としては、今にいう固定資産税のようなものをイメージしていたようだ。町人が課税を逃れる事態は、明治維新以降まで続き、農民が課税を一手に引き受けて、重い負担にひしがれていたことを考えると、徂徠の提案には先見性があったというべきだろう。

田畑の売買については、徂徠の時代にはきつく制限されていた。これを緩和せよというのが徂徠の意見だ。田畑売買禁止は、口分田制度以来の伝統だが、口分田は私有財産ではなく公有の財産である。公有の財産なら、私人の間での売買を禁止することに意義があるが、私人の財産なら売買を認めるべきである。売買を認めないことの弊害は大きい。たとえば、売買ではなく借金の抵当という形にして、その抵当流れとして所有権が移転されるケースが多いが、そういうケースでは法外な利息が設定されている場合が多い。もし売買を認めれば、百姓は法外な利息で金を借り、その抵当流れとして田畑を手放すことを余儀なくされずに済む。というのが徂徠の理屈である。

以上、四巻にわたって議論してきたことを、徂徠は次のように総括する。「肝心の所は、世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰する事也。是に依て戸籍を立て、万民を住所に在つくると、町人・百姓と武家と制度の差別を立てると、大名の家に制度を立てると、御買上と言う事の之無き様にすると、大体是等にて世界はゆりなおり、豊かになるべし」




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