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竹内好の魯迅論


竹内好は中国文学の理解を魯迅を読むことから始めた。これは日本人の中国文学受容の伝統的なパターンからは随分とかけ離れている。少なくとも竹内が魯迅を読み始めた頃の日本では、中国文学とは唐宋の大詩人たちを中核とした歴史的な遺産を意味していた。同時代の中国が問題意識になることはほとんどなかった。そんな時代に竹内は、自分とほぼ同時代人と言える魯迅を読むことから、中国文学の理解を深めようとしたわけである。

魯迅を読んだことから得たものを、竹内は1944年に一冊の書(魯迅)にまとめた。その直後に竹内は応召しているから、自分にとってこの書は大きな区切りとしての意義をもったようだ。いまそれを読んでみると、若気の至りと言うこともあるのか、筆が走っているわりには、明確な像を結ぶことがない。竹内自身が覚書といっているように、魯迅を読んで心に感じたことをとりあえず形にしたいと思って書いたらしいから、そもそも体系をめざしてはいない。魯迅について思ったことをアトランダムに書き留めたという趣である。

竹内は、魯迅には思想がないと言っている。思想がないのだから、そもそも体系は問題にならないわけだ。では魯迅には何があるのか。あるいは魯迅からは何が読み取れるのか。それは絶望だと竹内は言う。魯迅をめぐっては色々な評価があるが、魯迅の本質を絶望する人間に求めたものは竹内をおいてほかにはない。

竹内は言う。「魯迅の見たものは暗黒である。だが、彼は、満腔の熱情をもって暗黒を見た。そして絶望した」。しかし「魯迅の絶望したところに、多くの人は絶望しなかった。そのことによって、人々は衆愚となった。愚人の希望は笑わるべきである。彼は笑った。同時代の多くの人を嘲笑した。胡適を、徐志摩を、章士剣を、林悟堂を、成仿吾を、彼は嘲笑した。だが、彼は、それによって彼らを嘲笑したよりも、彼自身を嘲笑したのである」

つまり魯迅は自分の生きている世界を、自分自身を含めてトータルに否定したというのである。それは絶望のもたらす否定であって、絶望が深ければ深いほど、それに応じて否定の感情も強くなる。絶望には、絶望するものを阻喪させるものもあるが、魯迅の場合には意気阻喪ではなく否定の情熱をもたらした。魯迅はその情熱をもって、自分の生きる中国とそこに生きる自分自身を強く否定したというわけである。

では魯迅は否定を通じて何をつかもうとしたのか。竹内はそれを、中国社会を根底から作り替えようとする意志だというように見ている。絶望した人間は通常強い意志を持つことはないが、しかし、強い意志は絶望を通じてでなければ獲得できない。その矛盾を生きることから本物の意志が生まれて来る。その強い意志をもって自分自身と自分が生きる中国社会を根底から作り替えること、それが魯迅の生きる上での戦略だった。そう竹内は見ているようである。

このような問題意識が魯迅を政治的にしたと竹内は見ているわけである。魯迅の生涯は論争の連続で彩られているが、そこには魯迅の強い政治性が反映されている。その政治性を魯迅が文学的に表現した。ここに魯迅における政治と文学とのかかわりという微妙な問題が生じてくる。

文学と政治とはおのずから違ったものだ。文学では政治を動かすことは出来ない。なぜなら文学は政治について無力だからである。一方政治は文学を殺すことは出来る。というより文学者を殺すことができるといったほうが正確だろう。政治と文学との関係は、殺人者と批判者の関係と似ている。両者の関係は、「殺人者は批判者を殺すが、批判者は殺されることによって殺人者を批判する、という関係である。政治は政治的には有力であるが、文学的には無力であり、無力である文学は、無力であることによって文学としては絶対である」

この絶対であることに魯迅は生涯こだわったと竹内は見るわけである。後年竹内は日本と中国の近代化を比較して、日本が伝統をそのままにして外来の制度・思想を無批判に受け入れ、そのことで近代化を図ったのに対して、中国は全く別の道を歩んだと見た。中国では、伝統をそのままにして外来の制度・思想を無批判に受け入れることは出来なかった。伝統と外来とが衝突する時には、どちらかが根本的に修正されなければならない。その場合、近代化を至上の前提とすれば、伝統を修正しなければならない。それにはすさまじいエネルギーが必要になる。そのエネルギーは、中国の伝統を全面的に否定することから生まれて来る。なまじかなことでは、そうしたエネルギーは作りようがないのだ。

魯迅の同時代人及び自分自身に対する深い絶望と厳しい否定感情は、このような事情を反映しているのだと竹内は見る。したがって魯迅は、近代中国の課題を一身に体現していたと言ってもよい。魯迅は近代中国人の悩みをもっとも象徴的に示していた人物だというのである。





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