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閉ざされた言語空間:江藤淳の戦後占領軍検閲批判


江藤淳は、昭和54年秋から翌年春にかけてアメリカに滞在し、アメリカの対日本検閲政策の実情について研究した。そしてその成果を「閉ざされた言語空間」という書物に著して刊行した。これは、日本は敗戦とともに連合軍=アメリカから「言論の自由」を与えられたという通説に対して、反駁するのが主な目的だったらしい。江藤のアメリカ嫌いは相当のものだから、そのアメリカに言論の自由を貰ったというような言説が同時代の日本にゆきかっていることに憤懣やるかたないものを感じたからだろう。そんなバイアスを抜きにしても、これは日本の戦後史の一端を解明するうえで非常に有益な研究だといえる。江藤の最大の業績をこれに帰する意見があるのも、うなずけないことではない。

二部からなっていて、第一部は「アメリカは日本での検閲をいかに準備していたか」、第二部は「アメリカは日本での検閲をいかに実行したか」について、それぞれ詳細な記述を行っている。アメリカの対日検閲政策は、昭和16年ごろから、ということは日米開戦前後から準備が始まり、かなり周到なプロセスを経て実行されたたということがよくわかるように書かれている。江藤が力説していることは、検閲を含めた対日政策の大部分がマッカーサーによって決定・実施されたという俗説を退け、それらがアメリカ政府の綿密な主導のもとで行われたということである。

江藤は戦時検閲と戦後の検閲とにわけて記述している。戦時検閲については、敵国たる日本を破壊するために必要なあらゆる措置が求められ、戦後の検閲については、連合軍の占領政策を順当に実行するためのあらゆる措置が求められた。そしてそれらの措置は、民間機関の活動に主に向けられた。ということは、日本国民のあらゆる活動が検閲の対象になったということである。何故なら、日本は連合国にとって不倶戴天の敵であり、戦争で叩き潰すのは無論、戦争が終わったあとも、「眼に見えない戦争、思想と文化の殲滅戦が、一方的に開始され」ることが求められたからである。

対日占領政策は、表向きにはポツダム宣言を踏まえて行われることになっていたが、実態はそうではなかった。ポツダム宣言は、日本人に対して言論の自由を認めていたが、実際に行われたことは、その自由を大幅に制約するような検閲だったわけである。これは、憲法修正第一条(言論の自由の保障)をもつアメリカとしては、国是と相反する行為を、相手が日本人とはいえ押し付けたことを意味する。それはアメリカ人にとってはやはり恥知らずな行為として映ったのだろう。彼らは対日検閲政策を極秘のうちに行ったのである。検閲を極秘のうちに行うとは形容矛盾に聞こえるが、それほど彼らが自分の行為に自信をもっていなかったというと、そういうわけでもない。要するに鉄面皮だったにすぎない。

その鉄面皮をささえたのは次のようなアメリカ人の信念であった。つまり「あらゆる日本人は『潜在的な敵』であり、そういう人間が住んでいる日本という国は、本来『邪悪』な国である」という信念であった。こういう信念を持っているからこそ、こと日本人を相手にしたら、合衆国憲法修正第一条の精神を考慮する必要はないということになるわけであろう。

そういうわけであるから、アメリカの対日戦後検閲はなりふりかまわぬものになった。その典型的な例として江藤があげているのは次のようなものである。アメリカは戦後いち早く同盟通信社を事実上の営業停止に追い込んだが、それは同盟通信社がアメリカの検閲政策を無視して、いわゆるスクープを連発したからだった。同盟通信社としては、アメリカの対日占領政策はポツダム宣言にもとづいて行われ、それには当然言論の保証が含まれていたから、自分たちは正当な権利を行使したのだという理屈だったが、その理屈が小理屈に過ぎないことを、アメリカ占領当局は日本のメディアに思い知らせたというわけだった。

つまりこの時点でのアメリカは、ポツダム宣言より事実上日本を占領している当局の意向が優先するということを、日本の言論人に思い知らせたわけである。

その一方で占領軍は、日本の言論が日本政府によって制約されることは許さなかった。その典型として江藤は天皇のマッカーサー訪問にまつわるエピソードをあげている。この訪問のさいに、例の屈辱的とされる写真が日本のメディアにも配信されたが、日本のメディアはことごとくそれを黙殺した。天皇の屈辱的な映像を国民の目に触れさせるのを好ましくないとする日本政府の意向を踏まえたものだ。ところがこの措置に占領軍が激怒した。折角当方の好意で配信したものを勝手に握りつぶすのはけしからんというわけである。その怒りを前にして日本のメディアはこぞってその映像を公開した。

この事例は、当時の日本の言論界が、占領軍によって完全に統制されていたことを意味すると江藤は見る。日本のメディアは日本政府の言うことを聞く必要はないが、占領軍の意向に逆らってはならない、という考え方が占領軍によって押し付けられ、日本のメディアもそれに屈従していた、というわけである。

このような事例を通じて江藤は、日本が戦後連合国によって言論の自由を与えられたという言説は欺瞞的だというのである。たしかに日本のメディアは、自分の国の政府からは言論の自由を得るようになったが、その自由は連合軍の意向の範囲内だけでのものだった。こんな自由が果たして自由の名に値するのか、日本のメディアはもっと恥を知るべきである、というのが江藤の主張の眼目のようである。




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