知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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鈴木大拙論


鈴木大拙と西田幾多郎が少年時代からの友人であったことはよく知られている。彼らは友人であったばかりか、思想的にも互いに影響しあったようである。西田が禅に親しむようになったのには大拙の影響が働いているようだし、また、西田の思想の少なからぬ部分に大拙の影を感じることができる。例えば「一即多、多即一」などは、西田が大拙から学んだ考え方だったようだし、「日本的霊性」の中で展開される「即非の論理」は、西田に大きな影響を与えた。

鈴木大拙の思想は、禅に根差したものであり、その禅というものが言葉を軽視するものであることから、彼は自分の思想を言葉で表現するのに苦労したかといえば、必ずしもそうとはいえない。そのことは、彼の思想が言葉を通じて西田幾多郎に影響を与えたことからもわかる。鈴木大拙という人間には、どうも禅の体験を言葉で表現する稀有な才能があったようである。ここでは、そんな鈴木大拙の思想のエッセンスに迫りたいと思う。



禅と日本文化:鈴木大拙の啓蒙的著作
禅と武士:鈴木大拙「禅と日本文化」
禅と俳句:鈴木大拙「禅と日本文化」
禅と日本人の自然愛:鈴木大拙「続禅と日本文化」
鈴木大拙の日本的霊性論
即非の論理:鈴木大拙の思想

鈴木大拙「大乗仏教概論」について
鈴木大拙の大乗仏教論
鈴木大拙の涅槃観
鈴木大拙「禅とは何か」を読む


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