知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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幸徳秋水の非戦論


日露戦争は、明治37年(1904)の2月に開戦し、翌38年の9月まで、一年半あまりにわたって戦われた。それこそ日本中が勝利を祈って大騒ぎになったわけだが、幸徳秋水は、内村鑑三らとともに、この戦争に反対した数少ない日本人の一人だった。秋水の日露戦争への反対は非戦論という形で展開されたが、それが戦争を遂行する明治政府の逆鱗に触れ、秋水は38年の2月に官憲に検挙されて、禁固五ヶ月の刑を受けた。

秋水の非戦論は、道徳的な見地からと、社会科学的な見地からと、両面からなされるが、プロパガンダとしては、国民の道徳感情に訴えるというのが主要な方法となった。秋水は、戦争が人々の生活を直撃し、その道徳感情をそこなうことを以て戦争の罪悪とし、人々に非戦を訴えたわけである。それ故秋水の非戦論は、次のようなプロパガンダ的呼びかけによく現れている。

「われわれは絶対に戦争を否認する。これを道徳の立場から見れば、おそろしい罪悪である。これを政治の立場から見れば、おそろしい害毒である。これを経済の立場から見れば、おそろしい損失である。社会の正義は、これがために破壊され、万民の利益と幸福は、これがために踏みにじられる。われわれは、絶対に戦争を否認し、戦争の防止を絶叫しなければならない」(中公版日本の名著、伊藤整責任編集による現代語訳、以下同じ)

一方秋水は、戦争の原因を社会科学的に分析してもいる。すでに「帝国主義論」を執筆していた秋水は、日露戦争を帝国主義国家間における勢力争いととらえていた。もっとも秋水は、平民新聞等に寄稿した文章のなかでは、帝国主義という言葉は使っていない。愛国主義とか軍国主義とかいう言葉を使って、日露両国がそれぞれ国民の愛国心に訴え、軍国主義を鼓吹することで、国民を戦争に駆り立てていることを指摘しているのだが、その愛国主義とか軍国主義という言葉は、秋水が帝国主義の根本的な要素として取り上げたものだったのである。

秋水は言う。「戦争は、いつも政治家・資本家のためにたたかわれているにすぎない。領土や市場は、いつも政治家・資本家のためにひらかれているにすぎない。多数国民・多数労働者・多数貧民のあずかり知るところではないのである」と。そこからして秋水は、日本国民のみならず、ロシアの人民に向かっても、戦争に反対すべく呼びかけるわけである。

しかし秋水に呼びかけられた当の日本人たちは、秋水の呼びかけには答えないで、かえって戦争に酔いしれ、狂い騒いでいる。そのことを秋水は次のように言って、嘆いている。「政府も国民も、酔っぱらっている。都会も農村も、狂っている。酔っぱらってその仕事を忘れ、狂ってその職務を投げ出して、やおらに万歳をさけんで走り回り、大勝利をとなえておどりあがる。四千万の頭脳に、まさに一点・半点の常識がない。なんという醜態であるか」と。

こうなったことの責任の大半を、秋水は日本の新聞・雑誌に求める。いまでいう、ジャーナリズムとか情報メディアとかいうものだ。現下の日本では、新聞・雑誌が中心となって戦争を賛美し、国民がそれに踊らされている。この風潮を秋水は次のように言って、批判する。「なんという恥知らずであるか・・・思うに、新聞紙が、よく社会の『木鐸』であり、『公共のため』を目標において、社会の尊敬をあつめることのできる根本の理由は、ひとえに、冷静な頭脳とすぐれた見識をもって、事物の是非・利害を判断し、理性の命じるところにしたがって、国民の指導者となることでなければならない。しかも、今日の日本は、まだこのような新聞が一つもなくて、ただ戦争を謳歌し、へつらって、売ることばかりを考えて、その社会・人心にひどい害悪をながしていることを気にもとめない」

秋水がこのように新聞・雑誌に厳しいのは、新聞・雑誌への期待の現われである。新聞・雑誌には本来、公共の器として、無意味な戦争をやめさせるように努力する責任がある、ところがいまの日本の新聞・雑誌は、それとは全く正反対のことをしている。それは新聞・雑誌の自殺行為だ、と秋水は思ったのだと思う。だが、新聞・雑誌に代表される日本のジャーナリズムは、たとえわずかでも、秋水の期待に応えられるような気概があったのかどうか、疑わしいものがある。彼らの戦争への協力と浮かれ騒ぎは、むしろ彼らの本当の姿を映しているのではないか。

このことは、昭和の時代に入って、新聞・雑誌が政府のプロパガンダ機関と化し、国民を戦争に駆り立て、その結果日本を破滅させながら、いっこうに反省する気配を見せていないことからも、うかがえる。今日、平成時代の日本の新聞・雑誌の多くも、日頃「戦争はいけない」と言い散らしてはいるが、いざとなれば国民の素朴な愛国心を駆り立て、戦争を賛美する傾向から、未だに脱しきれていないのではないか。

日露戦争は、両国の政治家・資本家が自分たちの利益のためにしていることだと見なす秋水は、両国の一般人民に向かって、戦争の無益さと、損害の重大さを直接訴える。秋水の訴えは、ロシアの人民にも向けられるわけである。秋水は言う。「諸君の敵は、日本人ではない。実際は今日のいわゆる愛国主義である。軍国主義である。われらの敵は、ロシア人ではない。そしてまた、実際は今日のいわゆる愛国主義である。軍国主義である。さよう、愛国主義と軍国主義とは、諸君とわれらの共通の敵である。世界各国の社会主義者にとって、共通の敵である。諸君とわれらと全世界の社会主義者は、この共通の敵に向かって、勇敢な戦闘をしなくてはならない」

秋水にとっては、戦争をやめさせるには、戦争によって利益をうける分子、つまり資本家階級を絶滅させるほかはないということなる。資本家階級を絶滅させ、社会主義の社会を実現することこそ、秋水にとっては、戦争絶滅の究極的な解決策だったのである。





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