知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学万葉集漢詩プロフィール掲示板




戸坂潤の和辻哲郎批判


戸坂潤が和辻哲郎の風土論を取り上げて、そのイデオロギー性を批判したのは1937年のことだ。「和辻博士・風土・日本」と題する小論がそれだが、この中で戸坂は、和辻の風土論を、一つにはアラモードでハイカラな時代性を感じさせるとしながら、他方ではそのハイカラな手法を使って日本という国の特殊性、それは他国にすぐれた特殊性という意味だが、その特殊性を強調することで、イデオロギー的な役割を果たしていると批判するのである。

アラモードとは流行に乗っているという意味の言葉だが、戸坂がこの言葉で示唆している流行とは言うまでもなく同時代のヨーロッパの哲学のことをさす。戸坂は、和辻がドイツに留学して最新流行の哲学を仕入れたことを念頭に置きながら、和辻がフッサールの現象学とかハイデガーの人間学とかいった最新流行の手法を駆使して実に巧妙に自説を展開して見せたと褒めている。だが、その手法がどのような目的に仕えているかという点では疑問を提示している。和辻は現下の日本の学生たちが左翼化したのを苦々しく思い、それへの対抗上自分自身が右翼化してみせ、左翼的な古い流行に右翼的な新しい流行を以て反逆しようとしたと言うのである。

この辺は、戸坂が筋金入りの左翼であったことを勘案すれば、多少割り引いて読まねばならぬだろうが、和辻には、右翼的とまではいえないまでも、現状肯定的な保守性が認められることは確かだろう。

和辻のイデオロギー上の立ち位置をこう整理したうえで、戸坂は和辻の風土論の内実に踏み込んでゆく。戸坂によれば、「和辻博士による風土なるものは、要するに人間学的に解釈された自然のことにほかならず、あるいは少なくとも、自然の人間学的な代用品にすぎない」。しかし、このように「自然を人間に帰着させるということは、自然を自然としてではなく、自然でないものとして説明することにほかならない」。こう言うことで戸坂は、和辻の議論の観念論的な性格を、唯物論者としての立場から批判するわけだ。だがそれにとどまっていては、生産的な議論にはならない、ということで、戸坂は引き続いて、和辻の風土論がいかにして日本という国の特殊性の強調につながるのか、について議論を進めてゆく。

戸坂は言う、「風土は『ところ』である。それぞれところどころによって異なる地方の特異性を強調するのに何より便利であろう。と云うのはこれによって、日本や東洋の特異性、日本的・東洋的・現実の特異性、を強調する一つの一般方法を提供することが出来る。特に日本文化・東洋文化は、史的唯物論では説明できないということを強調するには、これが手頃の効用があるらしく見える。ここが風土と和辻的観念の最後のねらいどころだったのだ」

つまり和辻は、風土の発見から日本的・東洋的特殊性に気付いたのではなく、日本的・東洋的特殊性を説明できる便利な概念として風土を持ち出したのだ、と戸坂は言いたいようである。

それはともかくとして、風土から日本的・東洋的特殊性を導き出すという着眼点について、一応認めたうえで、ではそれがどのようなメカニズムで導き出されてくるのか、という点については、和辻は何も語っていない、と戸坂は批判する。「いったいラヂオの気象通報で放送される台風の気象学的な二重性から、如何にしてまた演芸放送で放送される日本国民的ななにわ節や軍人の講演における二重性が、発生するのであるか。その因果関係については、和辻博士の細かい叙述にも拘らず、何物を聞くこともできない」とかなり手厳しいことを言っている。つまり和辻は、風土から日本の特殊性を導き出すとしながらも、この両者がどのような因果関係にあって、それが誰もが納得できるような理屈を通じてどのように実現するのか、ということを和辻は説明できていないと批判するわけである。

そこで戸坂は、和辻が論理的な因果関係を軽視して、自分に都合のよい解釈でものごとを説明しようとしている、と厳しく指弾する。「因果的な説明などいらない。必要なのは解釈だけだ。~しかも、その解釈は実際を見ると、和辻式に警抜なファンタジーとアナロジーと、また時とすると、思いつきと、あて推量と、そして更に、こじつけとにさえ基づくことができる。しかも牽強付会される個々のタームは極めて実証的な引例や経験に基づいているというわけだ」

たしかに和辻には、戸坂が指摘するような面があるのは否定できない。ものごとの間の関係を、論理的な因果関係としてではなく、隠喩的な類似関係として説明するところがある。これは和辻に限らず、日本の物書きに共通した特徴だと思うのだが、和辻の場合には、それが大規模かつ無遠慮に展開されるわけである。唯物論者としてものごとの間の理路整然とした因果関係に拘る戸坂としては、こうした和辻の態度にはイライラさせられるのであろう。

和辻が、同時代の左翼的な風潮に右翼的な姿勢で対抗しようとしたとすれば、戸坂は左翼的な姿勢から和辻の右翼的な言説に立ち向かおうとしたわけであるが、その結果勝負の行方はどうなったか。どうも和辻のほうに分がよかったようである。戸坂が右翼と権力を攻撃したおかげで治安維持法にひっかかり、ついには獄死せざるを得なかったのに対して、和辻は日本の知識人の鑑として、文化勲章を授与されたわけだから。





HOME日本の思想和辻哲郎次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015-2017
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである