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日本思想史における問答体の系譜:丸山真男の「三酔人経綸問答」論


筆者は時折「三粋人経世問答」と題して、時評を問答形式で述べることがあるが、これが中江兆民の「三酔人経綸問答」の影響を受けてのこととは、題目からして容易に連想してもらえるだろう。その「三酔人経綸問答」を巡って、丸山真男が面白い話をしている。「日本思想史における問答体の系譜」と題した講演だ。

この講演の中で丸山は、兆民の代表作といえるこの作品について、中身を論じるのではなく、問答体と言うものの形式について論じるのだといっている。というのも、問答体の形式と言うのは、兆民が初めて取り上げたわけではなく、日本の思想史にあって長い歴史を有している。その歴史を踏まえてこの作品を読むと、読み方に広がりが出てくる、というのである。

問答体の先駆者として丸山がまず取り上げるのは、仏教の法論だ。法論の論は単なる議論と言うより、論争と言う性格が強い。それ故、法論を文章にすると、勢い問答体になるのだと丸山はいっている。法論の初期の代表作としては、最澄の「決権実論」と空海の「三教指帰」があげられる。「決権実論」は、最澄が実際に行った論争を背景にしており、天台が南都仏教にまさるということを、証明しようとしたものだった。これはだから一対一の論争と言う性格に近かった。

それに対して「三教指帰」の方は、複数の人物が登場し、それらが儒・道・仏それぞれの立場を体現して、世界観にかかわる大論争をする。その論争の中では、だれがだれよりも優位だということはない。それぞれが平等の立場から意見を述べ、互いに相手を批判しながら自分の正しさを主張しあう。だから、読者には、それがドラマのようにも思えてくる。実際、「三教指帰」の場合には、登場人物も議論の場所も架空だと断っており、読者はフィクションを読んでいるとの設定がなされているのである。(その点で、兆民の問答体と非常に近い)

その後、日本の思想界で仏教の地位が圧倒的な重みを占めるようになると、法論は仏教内部の論争と言う意味合いを強くするとともに、対等の論争と言うよりは、知的に勝ったものが、劣ったものの疑問に答える形で、問答を行うという形が一般化してくる。日蓮の「聖愚問答抄」なども、愚客が問うて聖人が答えるという体裁をとっている。この場合には、聖人たる日蓮が「法華経」の真理であることを語るわけである。

近世に来日して布教活動を行ったジェズイットたちが、教義の説明を目的として「ドチリナ・キリシタン」を作ったことはよく知られているが、これはもともと、キリスト教のカテキズムを土台にしていた。そのカテキズムも問答の体裁をとっている。しかし、その問答とは、聖職者が質問を発し、それに一般人が答えるということを中心に展開されていた。ところが、日本人向けに問答集を作るにあたって、その関係が逆転した。一般人が聖職者に質問を発し、それに聖職者が答えるという形をとったわけである。これは劣位者の問いに優位者が答えるという、日本の伝統的な問答体を採用した結果だと丸山はいっているが、その更に奥にある原因として、当時の日本人の知的能力が非常に高かったということを丸山はあげている。日本人に馴染みの問答形式を土台にして、キリスト教の優位を証明しないことには、日本での布教活動は成功しないとみていたというのである。

「ドチリナ・キリシタン」は外国人宣教師が作ったものだが、日本人が作った教義問答集もある。その中で傑作だとして丸山が取り上げているものに「妙貞問答」というものがある。これは、神・儒・仏という日本伝来の思想とキリスト教との間で繰り広げられる世界観の論争と言う性格をもっている。面白いのは、記紀神話のイデオロギー性を徹底的に暴きだしている点だ。国生みの神話にしても、鳥居とか注連縄などのシンボルにしても、つきつめれば男女のセックスを、象徴的に或はリアルに描写しているだけの、たわいもないことだということを、この問答集は痛烈に批判している。そう丸山は評価するのである。

そんなところからも、「妙貞問答」とは、「三教指帰」と「三酔人経綸問答」をつなぐ位置を占めていると言えるかもしれない。

徳川時代になると、安藤昌益が「自然真営道」を現し、その中の一編として「法世物語」という問答集を書く。これは鳥や獣たちが集まって人間の世の中を風刺するという体裁のものだ。人間の世の中は差別に満ちた法世であり、其れに対立するのが自然世であるとする点で、これは世界観の対立を描いた本格的な問答になっている。

しかし昌益のような考え方は例外で、徳川時代の主流の考えは、人間の世の中も自然界も、普遍かつ共通の原理によって動いているというものであった。そして維新後になると、この普遍の原理が文明開化の原理に転化して、問答体の議論も、この文明開化の意義を紹介するという形をとるようになる。

そこでいよいよ「三酔人経綸問答」が出てくるわけである。先ほど述べたように、内容についての議論は一切省いて、形式についての議論に終始したいといっているが、やはり形式と内容とは簡単に分離できないものと見えて、ところどころ内容についての考察が加えられる。それはつまり、三酔人のそれぞれが主張している説とはいかなる世界観を反映しているかということだ。

ところが、三酔人の云っていることをよくよく分析してみると、世界観の対立と言った大袈裟なものはない。また、保守と進歩の対立といったものも見られない。紳士君も豪傑君も、文明開化と言う世界観を受け入れたうえで、保守的な連中を置き去りにして、進歩的な国造りをするべきだという点では、考えに大した差があるわけではない。なら、そんなものは議論にならぬではないかと言いたくなるところだが、これがちゃんと議論になっている。それはなぜか、丸山はそこのところにこだわるわけである、

こんな調子で、この講演は、日本思想史における問答体の系譜というものについて、俯瞰的な認識への手掛かりを与えてくれるものだと言えそうである。


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