知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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オルガとアマーリア:カフカ「城」を読む


オルガとアマーリアの姉妹に接近したことで、Kはフリーダの怒りを買うことになるのだが、彼が彼女たちに接近したのは、彼女らに会うためではなかった。Kは彼女らの弟であるバルナバスに会うために彼女らの家に行ったのである。というのも、バルナバスはクラムからの手紙をKに送り届けた人間であって、そのクラムと会うための手がかりを一番持っているはずの人物として、Kには見えたからだった。そこでバルナバスの家、つまりオルガとアマーリアの住んでいる家に出かけていったわけだが、そこでKは思いがけない話をオルガから聞かされる。

オルガの家族は両親とアマーリアそしてバルナバスの計五人からなっていた。父親は腕のよい靴職人として、町ではひとかどの人間として知られていた。一家は何不自由なく暮していた。そんな一家に不幸がおとずれたきっかけは、城の役人からの誘惑を妹のアマーリアが拒んだことだった。アマーリアのこの行為が、城の役人に対する侮辱と受け取られ、アマーリアのみならず、一家全体に災厄が降りかかってきたのである。

町では、城の役人に抵抗したり侮辱したりすることは、許されないことだと考えられていたらしい。その許されない行為をアマーリアがしたわけで、町では当事者のアマーリアは無論、彼女の一家全員にも罪があり、したがって罰せられねばならないと考えた。しかし、父親には過去の実績があって、一夜にして没落するにはまだ力が残っていた。しかしその父親も次第に町の圧力に抗しきれなくなっていった。町の人々は、はじめは恐る恐る彼女の一家を眺めていたが、一家に抵抗力がなくなったと見極めるや、露骨に迫害を加えるようになった。父親は靴屋としての仕事を取り上げられたばかりか、いままで住んでいた家を目下のものにゆずりわたし、自分たちは粗末な小屋に住まざるをえなくなった。

こうしたすべてが、城の役人の要求を、アマーリアが拒んだことから生じた。アマーリアはしてはならないことをしたのだから、罰を受けるのは当然だと町の人々は受け取ったのである。フリーダもアマーリアと同じように城の役人であるクラムから自分のものになるように要求され、その要求に素直に応じた。だからフリーダは、アマーリアのような不条理な目にあわず、自由に暮すことが出来ている。この町では、掟を守るものは許され、守らないものは罰せられるのだ。その掟とは、城の役人の要求に対して従順に応えるということである。

オルガの一家にまつわるこの話を、カフカは、人間社会において差別が生じてくるメカニズムの一つの典型として描いているように見える。そしてカフカがそうした差別にこだわるのは、彼がユダヤ人であることに理由があるのだろうと思われる。人間はなぜ互いに差別し差別されるようになるのか。それは必然性をともなった事柄なのか、それとも偶然のことなのか。こうした問いに、自分がユダヤ人として差別される側にあったカフカが向きあったということは、ある意味自然なことである。

この話からは、差別を構成するいくつかの要素が読み取れる。一つは差別が発生する原因、二つ目は差別が強化される要因、三つ目は差別されやすい人の特徴、等々である。

差別が発生するのは、社会集団の内部においてである。特定の社会集団の内部で、その集団の規範から逸脱した分子が、反社会的要素として差別される。そもそもその集団と何らかかわりのないものは差別の対象とはならない。それはよそ者として排除あるいは敬遠されるだけである(Kのように)。集団の内部にいるものだけが、集団の敵として差別の対象となる。この話の場合には、町という集団の内部で一定のステータスを占めていた一家が、その集団の掟を破ったことで差別の対象となったわけである。

差別は差別するものとされるものとの、ある種の力関係を反映する。差別されるものの抵抗力が強いと、差別のプロセスは時間をかけてゆっくりと進む。そのかわり一定の時点で爆発的な現象に転化する。差別されるものの抵抗力が弱いと、そのものは一気に破滅的な状況に追い込まれる。このことは三つ目の差別されやすい人の特徴へと注目点を移動させる。差別されやすい人とは、一義的には抵抗力のない人達だが、抵抗力がある人の場合にも、彼が犯した掟の重要度が高ければ差別の程度も強くなる。

この話の場合には、オルガの家族は、比較的抵抗力が弱かったために、無残な差別を蒙ったということになっている。だからオルガは、もうすこし抵抗していたら、もっと違った結果になっていたかもしれないと悔やむわけである。彼女は次のように言うのだ。「どんなやりかたであってもかまわないから、事件をもう乗り越えたのだということをわたしたちの態度によって示してやったら、そして世間の人々が、あの件はどんな性質のものであったにもしろ、もう二度と話に出ることはあるまい、という確信を持ったならば、万事はうまくいったことでしょう」(原田義人訳)と。しかし自分たちはそれほど強くなれなかった。そのために人々は「わたしたちが手紙の事件から抜け出る力をもっていないことに」気付き、わたしたちを差別し続けたと思うのである。

オルガの家族は、自分たちを差別の重圧から解放するためには、城の役人たちから許しを得ることが重要だと考えるようになる。弟のバルナバスが、城の役人の使い走りになったのは、その許しの手がかりを得るためだった。彼がクラムの手紙をKに届けたのは、そんな新しい仕事の手始めだったというのだ。しかしバルナバスが果たして城の役人に気に入ってもらえたのかどうか、それはわからないとオルガは言う。K自身が城に近づく手がかりを得られないように、バルナバスにも自分が果たして城によって認知されているのかどうか手がかりがつかめないのだ。第一、許しを得るといっても、そのためには罪をはっきりさせねばならないが、その罪が役所によって否定されているのだ。彼女の一家に罪を着せているのは、役所ではなく町の人々なのである。

こんなわけで、差別をめぐるこの話では、差別のそもそもの原因が城の役人を侮辱したことにあるにかかわらず、実際の差別をするものは城ではなく町の人々であり、城はそのことについては一切かかわろうとしないのだ。これは、権力が反権力分子を弾圧しながら、その弾圧を自分の手でなさず、非統治者の手を介してなしながら、そのことの責任を認めないのと良く似たプロセスである。弾圧は権力の意思で行われているのではなく、社会の内部から自発的に行われている、というわけである。

ともあれ、差別を受けているオルガたちに、Kが接近するのをフリーダは許せなかった。彼女がKを捨てるのは、自分の内面化している町の掟をKが破ったからだ。その掟は自分のアイデンティティの一部となっているので、それを否定されることは、自分自身を否定されることと同じだ、そうフリーダは受け取ったわけである。




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