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カルロス・フェンテスのセルバンテス論



「ドン・キホーテは、あらゆる小説の中でもっともスペイン的なのである」と、メキシコの著名な作家カルロス・フェンテスはいう。しかしセルバンテスの小説は同時に「歴史がスペインに対して拒んだものになった」ともいう。「というのは、芸術は歴史が殺してしまったものに生命を与えるものだからである。芸術は、歴史が否定し、沈黙させたもの、あるいは迫害したものに声を与える。芸術は、歴史の虚偽の手から真実を救済する」(牛島信明訳、以下同じ)

筆者はスペイン史にはあまり詳しくないのだが、それでもカルロス・フェンテスの「セルバンテスまたは読みの批判」を読むと、セルバンテスの書いたこのすばらしい小説が、スペインの歴史との緊張関係のうえになりたっていることが、何となくわかったような気になる。

それと同時に、セルバンテスが生きた時代のスペインは、ルネサンスと反宗教改革という、相反するものの間に引き裂かれていたことも、考えに入れなければならない。この相反性が介在するために、「ドン・キホーテ」がスペインの歴史との間で持つ関係性は極めて複雑なものになる。その複雑性が、この小説を途方もなく豊かにしている原動力だ。

まず、スペイン的ということについて。カルロス・フェンテスは、1492年という年がスペイン史にとってもつ重要な意味を強調する。この年、「ユダヤ人が追放され、グラナダが陥落し、アントニオ・デ・ネブリーハが<カスティーリャ語文法>を出版し、コロンブスがカスティーリャ王国とアラゴン王国に<新世界>をもたらす」

まず確認すべきなのは、スペインは中世のほぼ全期間にわたって、キリスト教徒、イスラム教徒、そしてユダヤ人の混合した社会だったということだ。この混合が、スペインに独自の文化的色彩を与えた。中世のスペインは、思われているように抑圧的なものではなく、意外と開放的なものであったのだ。しかし、1492年に、ユダヤ人が追放され、イスラム文化が抑圧されたことによって、スペインは抑圧的で狭隘な社会に、不可避的に落ち込んでいくことになる。

1521年は、スペインが絶対王政のもとでますます単一的な価値観に縛られていく過程の出発点となる記念すべき年だ、とフェンテスはいう。この年は、カスティーリャのコムネーロスが、敗北した年なのである。

コムネーロスとはコミューンのスペイン語にあたる言葉で、庶民の政治参加を保障する装置であった。中世のスペインは、文化的には開放的であったように、政治的には民主的であったのだ。その民主制を支えていたのが、コムネーロスだったのである。

そのコムネーロスが一網打尽にされることで、近代への過渡期にあった中世スペインの民主的な傾向が押しつぶされてしまった。そうして成立する絶対王政は、反宗教改革の砦となっていくのである。

1598年は、セルバンテスが生きていた時代のスペインにとって一つの記念すべき年になった。この年、なかなか決断をくださないことから<慎重王>と呼ばれたフェリペ2世が「汚物にまみれて」死に、フェリペ3世が王位についた。そしてこの「フェリペ3世のスペインというのは、レルマ公爵やウセーダ公爵といった王の寵臣が跋扈し、モリスコが追放されてバレンシアとアラゴンの中産階級が没落し、不況とインフレに見舞われ、貨幣価値が低下し、流通貨幣として金銀のかわりに銅貨がもちいられ、倒産が頻発し、盗賊や悪者が横行したスペインである」 つまり、<ドン・キホーテ>と<グスマン・デ・アルファラーチェ>の、そして乞食の群がるスペイン」であるというわけだ。

そんなスペインにも、ルネサンスの光は届いていたのだろうか。届いていたはずだとフェンテスはいう。彼が言及しているのは、エラスムスのスペインへの影響なのである。セルバンテス自身は作品の中でエラスムスに言及しているところは一つもないが、彼がエラスムスの影響を受けていたことは間違いないという。言及しなかったのは、それが迫害をもたらすことを良く知っていたためだ、というわけだ。

セルバンテスは、20代後半でイタリアに渡り、レバントの海戦に参戦して片腕を失ったり、イタリアから数年ぶりにスペインへ戻る途中に海賊に襲われて北アフリカにとらわれの身になったりと、波乱に富んだ前半生を送っている。要するに国際人だったわけだ。だから彼が、ルネサンスの息吹に接して、それを自分の血肉の一部として取り入れたことは大いにありうることだ。

「ドン・キホーテ」の中で展開する世界は、基本的には中世の残渣を引きずった伝統的な社会といえる。スペインは、セルバンテスの時代にあっても、基本的には中世の延長にとどまっていたといわざるをえない。スペインは、他のヨーロッパ国家のように中世から近代へとドラスティックな移行をすることができなかった。中世の影を引きずりながら、なし崩し的に、ゆるやかな変化を経験した、といってもよい。しかもそのまだ死なないでいた中世とは、上述したように多様性や民主制をはく奪された、息の詰まるような中世の残り滓であったわけである。

この中世的なスペインを、セルバンテスはなかばルネサンス人としての目で見ていたのではないか。自分の目の前で展開する世界、それは伝統的であると同時に、新しい要素が混とんとして流れ込んでいるような世界、政治的に無能で経済的に破たんしかけた遅れたスペイン、新世界の発見が新しいものの見方を生むことなく、伝統的な貪欲の精神ばかりがはびこった世俗的なスペイン、そのくせ反宗教改革を通じて世俗性を罵り続けた聖職者たちのスペイン、そんなスペインをセルバンテスは冷めた目で見つめ、自分の目に映ったスペインを壮大な文学として描き出した。

そんなセルバンテスの描いたスペインを総括するのに、フェンテスは歴史学者アメリコ・カストロの次のような言葉を引用している。

「スペインは、客観的世界と主観的存在との合理的結合によってもたらされた、ヨーロッパの近代的価値を共にすることができなかった。スペインの政治と経済はほとんど無能であり、その学問的、技術的貢献もたいしたことはなかった。しかし、その芸術に対する能力は絶対的であった」

つまりスペインは、政治的・社会的には遅れた国家だったが、芸術的には一流の国家だったというわけだ。だからセルバンテスは、そんなスペインの産んだ偉大な芸術家であるというにとどまらず、世界史への偉大な貢献であったということになる。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2012
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