知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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世界の文学を読む


ドン・キホーテを巡って
カルロス・フェンテスのセルバンテス論
オルテガ・イ・ガセー「ドン・キホーテをめぐる思索」
牛島信明「反=ドン・キホーテ論」
メタフィクションとしてのドン・キホーテ
アイロニーとユーモア
文学のカーニバル化と内的対話性:バフチンの「ドン・キホーテ」論
道化の文学としてのドン・キホーテ
魅せられたドゥルシネーア:アウエルバッハのドン・キホーテ論
大江健三郎のドン・キホーテ論
ルカーチのドン・キホーテ論
ドン・キホーテの狂気
「ドン・キホーテ」におけるセックスのパロディ化
イエス・キリストとしてのドン・キホーテ
サンチョ・パンサの道化知
ドン・キホーテと魔法

チェーホフを読む
決闘:チェーホフ
妻:チェーホフ
六号室:チェーホフを読む
イオーヌィチ:チェーホフ
可愛い女:チェーホフ
犬を連れた奥さん:チェーホフ
熊:チェーホフの戯曲
かもめ:チェーホフの戯曲
ワーニャ伯父さん:チェーホフの戯曲
三人姉妹:チェーホフを読む
桜の園:チェーホフの戯曲
たいくつな話:チェーホフを読む
いいなずけ:チェーホフを読む
トーマス・マンのチェーホフ論

カフカを読む
カフカ「変身」を読む
カフカの短編小説
カフカの寓話
カフカ「アメリカ」
カフカ「火夫」
オクラホマの野外劇場:カフカ「アメリカ」
カフカ「審判」を読む
審判の中の女性たち
ディストピアとしての官僚制社会:カフカ「審判」
掟の門:カフカ「審判」
カフカの「城」を読む
フリーダとベーピー:カフカ「城」を読む
オルガとアマーリア:カフカ「城」を読む
アルトゥールとイェレミーアス:カフカ「城」を読む
マイナー文学:ドルーズ&ガタリのカフカ論
ボルヘスのカフカ論
ブランショのカフカ論

フォークナー
フォークナー「響きと怒り」
フォークナーの「サンクチュアリ」
サルトルのフォークナー論

ミラン・クンデラ
存在の耐えられない軽さ
カフカ的世界:存在の耐えられない軽さ
理解されなかった言葉:存在の耐えられない軽さ
カレーニンの微笑:存在の耐えられない軽さ

セリーヌ
夜の果ての旅:セリーヌを読む
フェルディナン・バルダミュの放浪:夜の果ての旅
ロバンソン小説:夜の果ての旅
バルダミュをめぐる女性たち:夜の果ての旅




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