陶淵明の世界

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 帰園田居五首:田園詩人陶淵明


帰園田居は歸去來兮辭の姉妹作のような作品である。彭沢県令を辞して、あらゆる官職をやめ、田園に生きることを決意した陶淵明は、その喜びを歸去來兮辭に歌い、なおかつその延長上で、帰園田居五首を作った。

五首の連作からなる作品群は、いずれもすぐれたものばかりで、田園詩人陶淵明の面目躍如といった感がある。とりわけ第一首目は、効果的な対句を重ねて、完成度が高く、自然に生きることの幽遠たるさまを美しく描き出している。


歸園田居五首(其一)

  少無適俗韻  少きより俗韻に適ふこと無く
  性本愛邱山  性 本と邱山を愛す
  誤落塵網中  誤りて塵網の中に落ち
  一去三十年  一たび去ること三十年
  羈鳥戀舊林  羈鳥 舊林を戀ひ
  池魚思故淵  池魚 故淵を思ふ
  開荒南野際  荒を開く南野の際
  守拙歸園田  拙を守りて園田に歸る

若い頃より俗世間と調子が合わず、生まれつき丘山を愛した、ところが誤って役人生活に落ち、30年もがたってしまった、

繋がれた鳥は林にあこがれ、池に飼われた魚は淵にこがれるものだ、こんなわけで、南の野に荒地を開こうと、世渡り下手の性質を大事にして、田園に戻ってきた、

  方宅十餘畝  方宅十餘畝
  草屋八九間  草屋八九間
  楡柳蔭後簷  楡柳 後簷を蔭ひ
  桃李羅堂前  桃李 堂前に羅る
  曖曖遠人村  曖曖たり遠人の村
  依依墟里煙  依依たり墟里の煙
  狗吠深巷中  狗は吠ゆ深巷の中
  鷄鳴桑樹巓  鷄は鳴く桑樹の巓
  戸庭無塵雜  戸庭 塵雜無く
  虚室有餘  虚室 餘阯Lり
  久在樊籠裡  久しく樊籠の裡に在れども
  復得返自然  復た自然に返るを得たり

四角い宅地は十餘畝、あばら屋といえども部屋が8つか9つある、楡柳は軒端に陰を落とし、桃李は家の前に連なっている

遠くには村落が霞んで見え、里の煙がなつかしそうに立ち上る、巷では犬がほえ、桑の木のうえでは鶏が鳴く、

庭には塵ひとつなく、がらんとした部屋はゆったりと静かだ、しばらく役人生活に繋がれていたが、また自然に帰ることができた(樊籠は鳥かご、束縛された生活から役人生活を意味する)

二首目も、田園生活の中で、隣人と清らかに交わることの喜びを描いて、実に清々しい。


歸園田居五首(其二)

  野外罕人事  野外 人事罕に
  窮巷寡輪鞅  窮巷 輪鞅寡し
  白日掩荊扉  白日 荊扉を掩ひ
  虚室絶塵想  虚室 塵想を絶つ
  時復墟曲中  時に復た墟曲の中
  披草共來往  草を披きて共に來往す
  相見無雜言  相ひ見て雜言無く
  但道桑麻長  但だ道ふ桑麻長ずと
  桑麻日已長  桑麻 日びに已に長く
  我土日已廣  我土 日びに已に廣し
  常恐霜霰至  常に恐るは霜霰の至りて
  零落同草莽  零落 草莽に同じからんことを

田舎では人付き合いも少なく、我が家のある狭い路地には車も入ってこない、日中も門を閉ざし、がらんとした部屋にいると雑念も沸いてこない(輪鞅は車の輪とむながい、官吏の乗る馬車を指す、塵想は世俗的な考え)

時には村の片隅を、草を披いて歩くこともあるが、互いによけいなことはいわず、桑麻の成長ぶりを話題に挨拶を交わす程度、(墟曲中はの片隅)

桑麻は日ごとに成長し、我が畑は日ごとに広がっていく、心配なことは、霜霰が降ってきて作物を枯らし、雑草同然にしてしまいはせぬかということだ。



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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007
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