昌平橋(25×34cm クラシコ5 2004年6月)

昌平坂といい昌平橋といい、昌平という名は孔子の故郷昌平の地に由来する。湯島の台地に聖堂が作られ、そこに孔子が祀られたことから、この辺一帯は徳川時代以降孔子のイメージと強く結びついたのである。

徳川幕府は実学というものに熱心でなく、朱子学を中心とした儒教教育を官学の柱に定めた。林家が代々学頭をつとめた昌平坂学問所は、今で言えば唯一の国立大学にあたるが、朱子学が陳腐化するにつれ学生も集まらなくなった。徳川期後半の人材教育を担ったのは、実学を重んじた私塾や藩校であったといえる。

歴史の詮索はこの程度にしておいて絵に戻ろう。これは万世橋の上から眺めた昌平橋の絵である。左手のレンガの構築物は、見過ごしてしまわれがちだが、なかなか絵になる眺めなのだ。もと万世橋駅の駅舎の一部として作られたといい、それなりに凝った意匠が施されている。方角は北東を向いており、朝日の当たる頃が一番美しい。この日は午後で全体が影に隠れてしまった。その分を、船のたてる白波で補った次第。






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