勝鬨橋(25×34cm クラシコ5 2004年6月)

いまの若い人たちは、かつて勝鬨橋ロンドンタワーブリッジのように開いていたことを知らないだろう。わたくし自身は子どもの頃二三度見たことがある。橋の中心部が左右対照の美しい形に開き、その間を待ち構えていた船が通っていった。これを当時の人々は二葉の跳開と、文学的な表現をしたものだ。昭和45年を最後に開かなくなってしまったが、最近せめてイベントとしてでも開いてほしいという運動がおきている。

昭和15年、当時の東京市役所の役人たちによって設計施工され完成した。その翌年に東京オリンピックが予定されており、また万国博が月島を会場に予定されていたので、帝都東京の顔として、それにふさわしい威容を持たされたのであった。オリンピックと万国博は幻と化したが、勝鬨橋は隅田川の第一橋梁として跳開し続けたのである。

環状2号線の道路計画が本格化するなかで、勝鬨橋の下流にもう一つの橋をかける計画が進んでいるときく。新たな第一橋梁である。都庁のお役人方には先輩たちの意気に違わず、是非美しい橋を作ってもらいたい。






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