学海先生の明治維新
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学海先生の明治維新その五十二


 目を覚まして枕もとの時計を見るともう九時になっていた。あかりさんは既に起きていて窓の近くの椅子に腰かけ身づくろいをしている。
「おはよう」
 小生が声をかけると、あかりさんは化粧の手を休めて小生の方を向き、
「よく眠れた?」と言った。
「よく眠れたよ」
そう小生が答えると、
「あなたって本当に寝相が悪いのね、おかげでベッドから落ちそうになったりして、よく眠れなかったわ」
「そんなに寝相が悪かった?」
「いびきもかいていたわ」
「それは悪かった。でも僕はよく眠れたよ。君の分まで寝てしまったようだね」
 どうも寝際に頑張りすぎたせいと、アルコールのために、いびき迄かいてしまったようだ。それはあかりさんに対して申し訳ないことをした。そう小生は反省したのだった。
 窓の外を見ると雪がちらついている。
「雪が降っているんだね」
「ええ、いま降り出したの」
「雪の京都ってのもしゃれた感じだね」
 そう言いながら小生はベッドから起き上がり、下着をつけてトイレに行き、更に上着を着た。彼女のほうが身づくろいを終えているので、小生もつられて身づくろいをしたというわけである。
 一階の食堂で軽く食事をとり、コーヒーをすすりながら、今日の予定を話し合った。
「今日は洛北方面へ行って見たいわ」
 あかりさんがそう言うので、
「じゃ、まず銀閣寺にでも行ってみようか。その後詩仙堂と曼殊院を訪ねて庭でも見よう」
「詩仙堂に行くのなら金福寺にも寄ってみましょうよ。芭蕉庵とか蕪村の墓がある所なの」
「じゃ、そうしようか」
 我々はタクシーを呼んで銀閣寺に向かった。銀砂を敷き詰めた庭から銀閣の建物を眺め上げ、また裏山に回って上から銀閣を眺め下ろした。銀閣の屋根にはうっすらと雪がかかり、枯れた眺めを呈していた。
「雪の銀閣ってすてきね」とあかりさんが言った。
 銀閣寺の近くをバスが通っているので、我々はそれに乗って一条寺下り松で下りた。そこからくねくねとした道を歩いて金福寺を訪ねた。あかりさんが言ったとおり、境内には芭蕉庵といわれる粗末な建物があり、また墓地には蕪村の墓があった。
「君は俳句が好きなのかい?」
「好きというわけじゃないけど、国語を教えていると芭蕉や蕪村に触れることが多いでしょ? それでかかわりのあるところはなるべく見ておいた方がいいって思うのよ」
 ついで詩仙堂を訪ねた。ここでもあかりさんは壁一面に掲げられている三十六歌仙の絵柄に興味をひかれているようだった。小生はそれよりも座敷から眺め渡した庭の景色のほうに心を奪われた。
「三十六歌仙もやはり国語教材のつもりで観察したのかい?」
「そういうわけじゃないけど。でも、面白いじゃない? ここはあの絵のおかげで詩仙堂と呼ばれるようになったんでしょ? 名前の由来になったものだから、じっくり見ておこうと思ったのよ」
「なるほど、君の研究熱心には感心するね」
 詩仙堂の山道から下りて来る頃雪の降り方が激しくなってきた。小生はあかりさんがさした傘の下に頭を突っ込み、あかりさんと相合傘の格好で歩いた。すぐ近くに湯豆腐屋が見えたので、我々はその店に入り湯豆腐を二人前注文した。ビールを注文するのも忘れなかった。そのビールで乾杯して湯豆腐を食った。雪を見ながら食う湯豆腐の味は格別だった。
 店を出た後、やはり相合傘を差しながら細い道を歩みつつ曼殊院に向かった。ここは我々のほかに人影も見えず、森閑と静まり返ったなかに、雪がちらほらと舞う眺めがいかにも幽玄境を感じさせた。
 受付の女性にお願いして電話を借りタクシーを呼び寄せた。タクシーはすぐに来た。我々はそれに乗って京都駅に向かった。
 京都駅には四時頃に着いた。我々はタクシーを降りるとそそくさと新幹線のホームに向かい、やってきた列車に飛び乗るようにして乗った。
「この旅行は楽しかったわ。あなたと二人で雪の降る京都を相合傘で歩きながら、すてきな庭園をめぐったのですものね。とても楽しかったわ」とあかりさんは存外あっけらかんとした表情で笑いながら言った。
「でも、列車が動き出してから現われた時には唖然としたよ。あれは僕をからかったつもりなのかい?」
「いいえ、そんなんじゃないわ。ほんとにぎりぎりで間に合ったのよ。ホームに着いたのは列車の発車間際だったから、とりあえず目の前のドアから飛び乗ったのよ。だからあんなふうになったってわけ。別にあなたをからかったわけじゃないわ」
小生の指摘に対して彼女はそう言い訳するのだが、その言い方がいかにもぞんざいなので、小生はやはり彼女にからかわれたのではないかとの疑念がなかなか晴れないのだった。
「あなたの小説の進行具合はどうなの?」
 あかりさんはこう言って話題を別の方向へ振り向けた。
「ああ、順調に進んでいる。全体構想の半分を過ぎたところだ。明治三年に依田学海が東京から佐倉に引っ越して、君がかつて住んでいた摩賀多神社の前の土地に家を求めたところまで来たよ。ところで君の一家はあそこにいつからいつまで住んでいたんだっけ?」
「小学校にあがるちょっと前から高校生の頃まで。だから十年以上になるわね。わたしの父は県の土木技師で、印旛沼の改良事業にかかわっていた関係で、あそこにあった県の官舎に住んでいたの。父がほかの部局に移動することになり、一家も他の土地に引っ越ししたのよ。わたしにとっては少女時代から青春時代にかけて住んだところだから、とても懐かしいところだわ」
「そうか、僕はまた君が根っからの佐倉の人だと思っていた。でも印旛沼にかかわりのある仕事とは何か縁があるね。依田学海は印旛沼がたびたび氾濫するので何とかしなけりゃという問題意識を持っていたんだ。それを君の家族がかなえてあげたわけだ」
「あなたはいつ佐倉に来たの?」
「小学校四年生の二学期の終りころだった。始めて佐倉に来た時の印象は、随分田舎だなって感じたことだね」
「それまではどこに住んでいたの?」
「東京の麹町さ。麹町というのは都心でしかも皇居のすぐ近くにある。ずばりこれが東京と言った感じのところだ。そこから佐倉に来たわけだから落差が大きかったわけさ」
「生まれも麹町なの?」
「いやそうじゃない。生まれたのは九州さ。いつかも言った通り僕の母親は薩摩おごじょで親爺は会津人の子孫だ。その水と油のような二人が九州で結びついたってわけさ」
「じゃ、麹町にはどれくらいの長さ住んでいたの?」
「小学校に上がるときから佐倉に来るまでのだいたい四年間かな。小学校は麹町小学校というところだったけど、ここが面白いところでね。生徒に選民意識があるんだ。先生もその意識を持っていて、お前たちは天子様のおひざ元で暮らしているんだと、事あることに言っていたもんだよ」
「先生まで選良意識を持っていたわけ?」
「ばかばかしい話だけどそうなんだ」
 車内販売が来たので、小生は缶ビールとチーズのつまみを買い求め、あかりさんはコーヒーを買って飲んだ。
「全体の半分を過ぎたと言ったけど、全部でどれくらいの長さになりそう?」
「まだちょっとわからないけど、八百枚ほどになりそうだ」
「ってことは、単行本にして五百ページくらいの長さ?」
「ああ、そうなるね」
「結構長いじゃない? ちょっとした長編小説だわ」
「もっとも小説の価値はページ数で決まるというわけじゃないからね」
「中身には自信があるってわけ?」
「そうありたいところだけど、うまくいくかどうか、そこが問題だ」
 こんな調子で会話が弾んでいるところ、いつの間にか列車は東京駅に到着した。
 もう七時を過ぎていたので、小生はあかりさんを誘ってどこかで食事でもしようかと思ったが、あかりさんは早く家に帰りたいと言う。我々は地下ホームから総武線の快速電車に乗り、あかりさんは新小岩で下り、小生は船橋で下りた。
 船橋駅前の縄のれんで軽く腹ごしらえをしてからマンションに帰った。部屋に入るなり荊婦が言った。
「昨日の晩と先程、T新聞の記者から二度も電話がありましたよ。ご主人はいま休暇中だそうですが、どこにいるのですかと言いますから、主人は休暇ではなく公務で出張中ですと答えておきましたよ。その記者の言葉遣いが癪にさわるほど横柄なのよ。わたし腹がたったわ」
 これは都合の悪い時に都合の悪い電話がかかってきたものだと小生は思った。
 しばらくしてその晩のうちにまた、T新聞の記者を名乗る者から電話があった。
「奥様からは京都へ公務出張中だと伺いました。役所では休暇中だと聞きましたからその旨奥様に話したのですが、どうも余計なことを言ったようですね」
 記者は自分の電話で小生が迷惑したのではないかと忖度しているようであった。電話の趣旨はさる公有地の売却について聞きたいということだった。公有地の売却を巡って不正が行われたのではないかとどうも疑っている様子だった。小生はその売却価格を決定した責任者なので、その責任者から売却価格決定のプロセスを聞きたいというのであった。小生は売却価格の決定は、規則や不動産価格の現状を踏まえて適正に行われたと答えた。職務柄そう答えるほかないではないか、と言わんばかりに。
 それにしてもこんなつまらぬことで、荊婦がまたあらぬ嫌疑を小生に抱かぬとも限らぬと、小生はそちらのほうが気になったのであった。




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