学海先生の明治維新 |
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学海先生の明治維新その七十三 |
眼を覚ますと、あかりさんは浴衣を着た姿で縁側に座り、池の水に見入っているようだった。小生は彼女に 「おはよう」と声をかけて床から出た。 そして下着と浴衣を身に着けてトイレに入り、小用を済ませてあかりさんの隣に座った。 「よく眠れたかい?」 「ええ、まあ、布団だからいつかみたいにベッドから落ちることはなかったけど、何度もあなたに蹴飛ばされて布団からはみ出したけどね」 「それは申し訳なかった」 小生はあかりさんからまたもや寝相の悪さを指摘されて、すっかり恐縮してしまった。 そのまま二人並んでしばらく池の水を眺めていたが、そのうちあかりさんが小生のほうへにじり寄って来て、尻を小生の腰に押し付けた。彼女の顔を見ると、眼がうるんでいるように見える。どうも性欲を催しているようだった。 そこで小生はあかりさんを横ざまに抱きかかえ、その姿勢を保ったまま畳の方へ移動すると、今度は彼女を畳の上に寝かせて、その上に覆い重なった。 こうして我々は朝のセックスに耽ったのだった。彼女の陰部は興奮して赤く腫れあがっているように見えた。 性交後彼女は小生の顔をしみじみと見つめながら 「私って淫乱なのかしら。朝からしたくなることがあるのよ」と言った。 朝食は別室でとった。旅館を辞すと修善寺に参拝した。境内は新緑に包まれて爽やかな気分だった。 「このお寺が修善寺物語に出て来るお寺? ここに北条政子が自分の子の頼家を監禁し、ついには殺させたという」 「ああ、修善寺物語自体は近年の作り物だけれど、政子の頼家暗殺は史実とされている」 「政子は何故自分の子である頼家を殺させたのかしら?」 「頼家が北条氏を敵視したからさ。政子は実の子より実家の北条氏の方を大事にしたんだな」 修善寺を出た後バスの停留所まで歩き、河津行の路線バスに乗った。バスは天城越をして河津七滝にさしかかった。そこで我々はバスから降り、いくつかの滝を見ながら散策した。滝のしぶきが芽生え始めた新緑を背景にまぶしく映った。 「河津七滝というくらいだから、七つの滝があるのでしょ?」とあかりさんが言った。 「うん、地図を見ると狩野川沿いにかなり間をおいて並んでいるね。一番人気があるのはこの初景滝というやつだ。ちょっと下流には大滝というのがある。そこは川の中に温泉が湧き出ていて、水着をつけて風呂に入るそうだ。君も入ってみたいかい?」 そう小生がからかうように言うと、あかりさんは、 「こんなところで日中人前に裸をさらすのはごめんだわ」と言って身をすくめる仕草をした。 「伊豆の踊子に出て来る旅館はこのあたりにあるの?」 「いや、あれに出てくるのは湯ケ野温泉といって、もうすこし下流のほうだ」 「踊子が裸で学生に手を振ったという所でしょ?」 「ああ、その子がまだ子どもだったことがわかって、学生ががっかりするというやつね。その学生は踊子とセックスしたかったんだが、相手が子どもとわかってがっかりしたというわけだ。川端っていうのは、男女の機微をそんなふうに書くのが好きだったみたいだね。男の一方的な視線から物事が見られている」 「川端って案外女性蔑視のところがあるのよね。にもかかわらず女性に人気があるから不思議だわ」 再び路線バスに乗って、我々は昼頃河津に着いた。 狩野川の河口あたりを散策して歩いた。もっと早く、二月の末ごろに来れば、河津桜が見事な眺めを呈しているはずだったが、今は新緑がようよう色を深めつつある時期だった。色の深まりとともに、大気も密度を増しているように感じられた。 我々は土手沿いにある一軒の食堂に入って昼食をとった。魚が新鮮でうまかった。みなこのあたりの海でとれたという。生きのいい魚を食いながら飲むビールの味はまた格別だった。 「旅の醍醐味は温泉に浸かることとうまいものを食うことだね。幸い今回はその両方とも満喫できたよ。温泉には君と二人で浸かることができたし、こんな所で思いがけなくうまいものにありつくことができた」 「たしかにここの料理は新鮮だわ。素材がいいと余計な手を加えずに、生で食べるのが最高ね」 そう言いながらあかりさんは幸福そうな顔を見せながら刺身を食った。小生はそんなあかりさんの顔を見て幸福な気分になるのだった。 「これはなんというのかしら? アジのたたきに似た味がするけど」 あかりさんはそう言ってアジで作ったなめろうをゆびさした。 「それはなめろうというのさ。アジを叩いた上に更に身をすりつぶし、ミンチのようにしたものさ。そいつを油で揚げるとさつま揚になる。そっちのほうもなかなかうまい」 「おいしいものを食べるのって、一番の幸せね」 「セックスと同じくらいの幸せかい?」 「食欲と性欲とは違うレベルの話だから、一緒くたにするのは間違ってるわ。この二つは二者択一には馴染まないから、どちらが上とか比較はできないの。だいたいそんな比較をしたがるあなたが不純だわ」 そう言ってあかりさんは小生を非難するような目つきを見せるのだった。 うまいものを存分に食って満腹した我々は、河津駅から伊豆急の列車に乗り込んで、熱海方面に向かった。 我々は熱海駅で下車し新幹線に乗り換えようとした。ところが東京行の新幹線の車両がホームに停車したまま動かない。在来線に乗り換えた方がよいのかどうか迷ったが、そんなに長くはかからないだろうと思われたので、車両に乗りこんで発車を待つことにした。 「いつかもこんなふうに熱海で新幹線が止まってしまったことがあってね、その時僕は某区役所の連中と一緒に伊東温泉へ浸かりに行き、その帰りに熱海で新幹線に乗り換えたんだけど、それがなかなか動かないで困ったことがあった。その時に面白いことが起ったんだ」 「へえ、どんなこと?」 「その旅行というのは、我々が日頃入り浸っていた小料理屋の女将をねぎらうつもりで、その女将と彼女の仲良くしている向島の芸者を一緒に連れていったんだ。その女将自身向島芸者上がりで、曳舟あたりに小料理屋を出していてね。我々はその店に二日と置かず通っていた。そのうちすっかり仲良くなってしまい、是非一緒に温泉に浸かりに行きましょうよとなったのさ。伊東温泉の老舗旅館に泊まって大騒ぎをしたんだけど、なにせ元芸者と現役の芸者を連れているとあって、遊びの種には事欠かない。随分と楽しく遊ばせてもらったものさ。それで散々遊んで疲れた体で東京へ戻る途中、やはりこの熱海で新幹線に乗り換えようとしたわけさ。すると今日みたいに新幹線が止まっていた。その新幹線には偶然、皇太子時代の今上ご夫妻が乗って居られて、止まった列車から降りて来られたんだ。ご夫妻が連絡通路に姿を現すと、その周りに大勢の人垣ができた。我々はその人垣の一隅からご夫妻の様子を遠巻きに見ていたんだが、どういうわけか妃殿下のほうが我々のほうに向かって歩いて来られる。どうされたのかといぶかっていると、妃殿下は元芸者の前で足を止められ、その女に親しく話しかけられたんだ。それを見て僕はびっくりしたわけなんだが、どうやらその女には独特のオーラがあるようなんだな。妃殿下はそのオーラに引かれて近づいて来たに違いないんだ」 「へえ、面白い話ね。その元芸者さんはそんなに人目を引くほどの迫力を感じさせたの?」 「いや、普段はそんなでもない。年相応のおばさんと言った感じだが、やはり身のこなしの節々に芸者らしい粋の良さを感じさせるのかもしれないね。我々凡俗にはそういうことは見えないが、高貴の方には見えるらしい」 そのうち新幹線の列車が動き始めた。 「今日は比較的早く列車が動き出してよかったね」 「さっきの話だけど、その元芸者さんは和服を着ていたんでしょ?」 「ああ、若いほうも和服だったよ。芸者が和服を着ると、それは粋に見えるもんだね。僕のお袋も和服を着ていることが多かったので、僕は女の和服姿が好きなんだ」 「芸者さんからはどんな遊びを教わったの?」 「色々教わったよ。かくし芸のようなものとか、踊りとかね。そういうのを身に着けると、サラリーマンはとかく重宝されるんだが、僕には幇間のような趣味はないから、覚えようという気持ちもなかったし、すぐに忘れてしまったよ」 「それはもったいないことをしたわね。芸は身を助けるといって、どんな芸でも身に着けて損ということはないわ」 「君のその忠告をもっと早く聞いておくべきだったよ」 列車はやがて東京駅に着いた。 「今回の旅行はとても楽しかったわ。自転車で伊豆の名所巡りをしたし、水上の宮殿でロマンチックな夜を過ごしたし、河津ではとびきりおいおしいものを食べたし、もう言うことのない旅だったわ」 「毎日がこんな楽しいことの連続だったらどんなにか素晴らしいかわからないね。もっとも人間と言うものは、楽しいばかりでは生きてはいけないように出来ている。楽しさの陰にそれに匹敵する苦しさがあってこそ、楽しさもまた素晴らしさを増すというわけさ」 「あなたの理屈好きは生まれつきみたいだけど、最近はとくに理屈っぽくなってきたみたいよ」 「年のせいかな?」 我々は東京駅の地下ホームから総武線の快速電車に乗りこみ、彼女とは新小岩で別れた。 |
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