学海先生の明治維新
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学海先生の明治維新その八十四


「お前の隣にいるのは、上田さんとこのあかりちゃんじゃないのかえ?」
 小生の母はひかりちゃんを指さしながら言った。
「いや、この子はあかりさんの子どもなんだ。ひかりちゃんというんだ」
「そうなの? お母さんによく似ているね。うり二つだよ。いくつなの?」
「十四歳です」
 小生の母に聞かれてひかりちゃんは答えた。
「もう一人お前の隣にいるけど、その人は何なのだい? 随分大袈裟な格好をしているけど」
「この人は僕の知り合いで依田学海さんというんだ」
「依田百川、号して依田学海と申す」
 学海先生はこう自分を紹介した。
「この格好は別に大袈裟でも何でもない。武士の正装じゃ」
「武士が正装をして、なにか重要な儀式にでも出るのですか?」
「いや、そうではない。武士たるもの常にいずまいをただしておくのじゃ」
「よくわからない話だけど、まあいいですわ。ところでお前たちは、また何故こんなところにやってきたんです?」
「かあさんこそ、何故こんなところにいるのですか?」
 小生がそう聞くと、母は
「お前が不審に思うのも無理はないけれど、わたしがここにいる理由を話し出すと長くなります」
「かあさんはあの世で別の生活をなさっていたんじゃないですか?」
「そうなのですが、それが突然わけのわからない力に引き寄せられてここに来てしまったのです」
「いつごろのことですか?」
「もう大分になります」
「ここに来て、いままで何をなさっていたのですか?」
「怪我人を看護していました。その怪我人とは私のひいおじいさんにあたる人なのです」
「ひいおじいさんですって?」
「そう、わたしにとってひいおじいさんだから、お前にとってはひいひいおじいさんになるね」
 母がそう言うと、母の背後の家の縁側に一人の人物が現れた。
「あや、誰か来ちょるのか?」
 あやとは、母の名である。
「わたしの息子ですたい」
「なに、わいの息子じゃと?」
「はい、わたしの息子ですから、あなたのやしゃごですよ」
「おいのやしゃごか?」
 そういうとその男は小生の方へなつかしそうな顔を向けた。
「わいの名はないちゅうと?」
 薩摩弁で聞かれて小生にはわかりづらいところもあったが、とりあえず
「鬼貫進一郎といいます」と答えた。
「鬼貫ちゅうと?」
「鬼貫というのは、わたしが結婚した相手の苗字ですよ」
「その鬼貫ちゅうたあ、どこのもんじゃ?」
「会津の人でした。そう言うのも、もうとっくになくなっておりますから」
「会津もんか? その会津もんがよう薩摩もんのお前と結婚したもんじゃの」
 この一連の会話からわかるように、小生たちはどうやら明治の初めごろにワープしてきたようなのである。そこには小生の母が、彼女の曽祖父と一緒にいて、しかもその人の怪我の看護をしていたと言う。
 とりあえず母から簡単な話を聞いたところ、母の曽祖父は鶴岡官兵衛と言って、西南戦争が始まった時に西郷隆盛に従った。熊本城の攻防戦に参戦し、その後人吉に退却し、更に鹿児島に転戦したが、重富で政府軍と対峙しているときに、海上から艦砲射撃を受けて西郷軍は総崩れになった。その際官兵衛は大砲の攻撃を受けて大怪我を負い、瀕死の状態に陥った。その時に母が突然官兵衛のもとにワープして来て、官兵衛の看護にあたったというのだ。母が言うには、
「あのとき、この官兵衛さんはほとんど死にかかっていたんだよ。でも官兵衛さんがそこで死んでいたら、わたしは生まれることができなかったろう。何故ならその時点では、わたしのおじいさんはまだ生まれていなかったからさ。わたしが生まれるためには、わたしのおじいさんが生まれる必要があり、そのためには官兵衛さんにここで死んでもらっては困る。そういうわけでわたしは、あの世から呼び出されて官兵衛さんの看護にあたることになったんだと思うよ」
 こう説明してくれる母の話は一応理窟が通っていた。
「さいわい鹿児島には官兵衛さんの親戚の家があったので、そこに官兵衛さんを運んで看護したのさ。この家がその親戚の家なのさ」
「もうここにはどれくらいいるのですか?」
「重富の戦いは五月の下旬のことじゃったから、もうかれこれ四か月近くになるじゃろう。その間、あやはおいの面倒をようみてくれた」
 ここで官兵衛さんが口を挟んだ。
「その後西郷どんは各地に転戦したというこっちゃが、このたび鹿児島に戻り、城山に本陣を構えたそうじゃ。おいも怪我がなおったで、西郷どんのもとにかけつけようと考えちょる」
 すると母は、
「折角怪我が治ったのですから、無理はしないで下さいな。西郷さんはこの後しばらくして、切腹して死ぬことになっているんです。西郷さんと行動を共にしたら、官兵衛さんも死ぬことになりますよ」
「おいは死を恐れちょらん」
「官兵衛さんが死を恐れていなくても、わたしにとっては、官兵衛さんに死なれて困ることがあるんですよ」
「どげんことじゃ?」
「あなたに今死なれては、わたしが生まれて来ることができないからですよ」
「じゃども、わいはこうして生きちょっちゃなかと?」
 小生が母と官兵衛さんの会話に耳を澄ませていると、突然ひかりちゃんが
「鬼貫のおばさん。わたしのお母さんのことを知りませんか?」と母に向かって訪ねた。
「あかりちゃんの姿は、この辺では見かけなかったけど、あかりちゃんがどうかしたのかえ?」
「三日前から姿が見えないんです。どこを探しても見つからないので焦っていたら、この変な人が現れてわたしを鬼貫さんのところに連れて行き、更に変なところを通ってここまでやって来たんです。ですからわたし、お母さんがこの辺にいるような気がしているんです」
 こうひかりちゃんが説明すると、学海先生は、
「ワシは変な人ではないぞ。オヌシたちのことを心配しておるのじゃ」
「わたしたちをここまで連れて来たのだから、ここにお母さんを探す手がかりがあるんでしょ? 早くそれを教えてください」
「まあ、そうあせるな。すぐにお母さんのところに案内してやるから」
「ほんと?」
「わしはうそはつかぬ」
 どうやらあかりさんも、明治時代の初め頃にワープして来て、この近くにいそうな気配である。
 ここで官兵衛さんが口をはさんだ。
「いま鹿児島の町の中は両軍相乱れて危険な状況じゃ。うっかりしちょると、両方から襲われんとも限らん。第一わいたちの格好は目立ちすぎじゃ。とくにそのオナゴの格好はいかん」
 たしかに官兵衛さんの指摘する通り、ひかりちゃんはかなり目立つ服装をしていた。すみれ色のブラウスに派手なグリーンのスカートをはいているのだ。
「家の中に女物の浴衣があるはずじゃから、それに着替えやんせ」
 そう言われてひかりちゃんは小生の母に手伝ってもらって地味な色合いの浴衣に着替えた。
「ではこれから、この子の母親のところに出かけるとしよう」
 学海先生がそう言うと、ひかりちゃんは目を輝かしたが、小生の母親が口を挟んで、
「みんな行きっぱなしになるんですか?」と聞いた。
「いや、そうはならんと思うが、その時の勢いによってどうなるかわからぬ。とにかくこれからこの子の母親がおるところまで行ってみるつもりじゃ」
 学海先生はそう言うと、ひかりちゃんと小生に目くばせした。
 我々にどんなことが起ったのか、小生にはよく理解できぬのだが、我々は突然鹿児島の町の別の地点に到達したようだった。そこには数人の武士と一人の女性がいた。その女性こそあかりさんだったのだ。
「おかあさん!」とあかりさんを見てひかりちゃんが叫んだ。小生も、
「あかりさん!」と叫んだ。二人の叫び声は同時に発せられて、独特のハーモニーを奏でた。
「いったいどうしたわけでこんなところにいるんだい?」
 小生がそう尋ねると、ひかりちゃんもいっしょになって、
「いったい何故、こんなところにいるの?」と尋ねた。
 するとあかりさんは、
「わたしにもよくわからないのよ。気が付いたらここにいたの。ここにいる人たち誰だと思う?」
 あかりさんはそう言って、そばにいる二人の男を指さした。
「この人は上田善之助さんといって、わたしの高祖父なのよ。そしてこちらの人は鬼貫平右衛門さん。説明はいらないでしょ?」
 いきなりこう言われて小生は混乱してしまった。我々はあかりさんを訪ねて明治十年の鹿児島まで来たのだったが、そこでまず小生の母方の先祖と会い、ついで父方の先祖と会った。そればかりか、あかりさんの先祖とまで会ったわけだ。いったいこれはどうしたことなのか?
「わたしはどうやら自分の先祖に引きつけられてここにきてしまったようなのよ。でも先祖はわたしには大した用事がないらしいの。かえって鬼貫さんのほうが私に興味をもって、いろいろとお尋ねになるのよ。わたしがどこからきたのかとか、私が未来から来たことがわかると、西南戦争の行方はどうなるだろうとか、西郷は戦にやぶれるのかとか、色々と聞きたがるのよ」
 そうあかりさんが言うと、鬼貫平右衛門が脇から口を出して、
「オヌシたちは何者じゃ?」と聞いた。
「僕は鬼貫進一郎といいます。鬼貫平右衛門の玄孫にあたります」
 そう小生が自己紹介をすると、鬼貫平右衛門は信じられないといった表情をしてうめくように言った。
「オヌシはワシをコケにするつもりか?」




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