学海先生の明治維新 |
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学海先生の明治維新その卅六 |
九月の半ば過ぎ小生はあかりさんを誘って千駄ヶ谷の国立能楽堂で能の見物をした。先日転任祝いに音楽会に招かれたお礼のつもりだった。千駄ヶ谷駅前の喫茶店で待ち合わせをし、そこでサンドイッチの軽い昼食をとったあと、肩を並べて能楽堂まで歩いた。このあたりには土地勘がある。千駄ヶ谷駅前の東京都体育館にはリニューアル後の事業課長として一年ちょっと勤めていたことがあるからだ。その折にはこの辺をよく散歩したり、津田塾の学生食堂で女学生たちにまじってランチを食べたりしたものだった。 「今日はありがとう」 「先日の音楽会のお礼さ。気に入ってもらえるかどうかわからないけど」 「あなたはよく能楽を見たりするの?」 「職場で謡曲のサークルに入っていて、それで能はよく見る」 「面白い?」 「僕にとってはね。君にもそう思ってもらえるといいんだけれど」 この日の演目は宝生流の能「海女」と大蔵流の狂言「棒縛り」だった。我々は中正面席から舞台を見た。「海士」を見るのは二度目だったが、前回見た観世流のに比べると宝生の「海士」は多少のんびりしているように聞こえた。謡い方が違うのだ。小生は観世流を習っているが、それにくらべると宝生の謡い方はだいぶ異なって聞こえる。 終了後まだ夕刻には間があるので新宿御苑を散策した。電車の線路をくぐって裏口から入り、日本庭園を通って西洋庭園へ出、ベンチに並んで腰かけた。すると近くの芝生の上にカラスがたたずみ、我々のほうを見ているのに気が付いた。小生はいつか体験したことを思い出した。 「あのカラスを見てごらんよ。僕らに挨拶してるように見えないか?」 「わたしにはそうは見えないけど、あなたにはカラスの気持がわかるの?」 「いつかこんなことがあったんだ。僕はこのベンチに一人で腰かけてサンドイッチを食べていたんだけど、そのときにちょうど今みたいに一羽のカラスが芝生の上にたたずんでいて僕のほうをしきりに見ているんだ。そこで僕もそのカラスに目をやったところ、二人の目と目があったというわけさ。するとそのカラスは僕の足元までやって来て、頭を上下にゆすりながら挨拶をした。僕も挨拶代わりにサンドイッチをひと切れ進上した。するとどこからともなく別のカラスが次々と集まって来て、オレにもくれよと言うんだ。中には僕の座っているベンチのこの辺りに止まって、僕の肩越しにサンドイッチを伺う者もある。僕はサンドイッチをちぎっては与え続けたんだけど、そのうちなくなってしまったので、起き上がって歩き出したところ、カラスどもがぞろぞろついてくるんだ。中には僕の頭上を飛び回りながら歌を歌っている奴もいる。そこで僕もさすがに気味が悪くなり、最初に出会ったカラスに向かって言ったんだ。君たちの友情はよくわかったよ。見送りはいいからもう行ってくれってね。するとカラスたちはいっせいに"アア"と鳴きながら退散したっていうわけさ」 「なんだかカラス使いみたいな話ね」 「だからこのカラスを見ない方がいいと思うよ。目があったりしたら仲間だと思われるから」 「あなたって変な人ね、なんでこんなところでそんな話をするの?」 「たしかに変かもしれないね。でもあの『海人』を見ていたら、動物にも心があるってことに気が付いたんだ。心ならカラスにもある。つまり動物の持つ心が能とこのカラスとを結びつけたんじゃないかな。自分でもなんでこんな話を始めたのはわからないところがあるけど、案外そんなところかもしれないなと思ったりして」 「連想心理ってわけ?」 「うむ、そんなところかな。ところで能は面白かった?」 「何を言っているのか言葉がはっきりわからなかったので、面白かったかどうかなんとも言えないけど、狂言のほうは面白かったわね。狂言は言葉も分かりやすかったし、仕草がなんとも言えず滑稽で、わたしお腹がよじれちゃったわ」 「それはよかった。僕も初めて能を見たときには、そのままではほとんど言葉がわからないので、謡曲の本を手にしながら見たものさ。でもそのうちわかるようになった。言葉がわかると味わいがいっそう深くなるもんだよ」 「わたしにも言葉がわかればもっと面白かったかしら?」 「事前に謡曲本でも読んでテクストを頭に入れておけばよかったかもしれないね。次回はそうしよう」 「狂言ならともかく能はもうたくさんって感じだわ。眠くなるだけですもの」 「今日の能は宝生流と言って、多少退屈なところがあるんだ。僕のやっている観世流は音楽性が豊かで歌を歌っているように聞こえる。ところが宝生流は語っているように聞こえる。それで退屈さを感じたのかもしれないね」 別にカラスにせきたてられたわけでもないが、我々はベンチから立ち上がってそこいらを歩き回り、芝生の上に並んで腰を下ろした。我々の周囲には背の高い樹木が連なって見えた。 「新宿御苑には、東京都体育館に勤めていたころしょっちゅうやって来たんだ」 「それでカラスともお友達になれたってわけ?」 「カラスだけじゃなく、鳩とも友達になったよ。君は鳩の恋ってみたことがある?」 「ないわよ、そんなの」 「鳩は人間と同じで一年中発情するんだ。オスが鳩なで声とでもいうよう声を出しながらメスに近づき、羽を広げて自分を大きく見せようとする。大体の場合は振られてしまうんだけど、運よくメスに気に入られることがある。それはオスの嘴にメスが自分の嘴を絡ませてくることで確認できるんだ。するとオスは腹の中から食い物を吐き出してメスに与える。メスがそれを食べるとカップリングが成立というわけさ。その後オスはメスの背中に飛び乗って交尾をするんだけど、交尾は一瞬のうちに終わり、終わった後はどちらともなく離れ離れになり、二度と会うことはないようなんだ。一般に鳥類は夫婦仲がいいと言われてるけど、鳩の場合には実にドライなもんだよ」 「人間とどっちがドライかしら?」 「それは見ようによってだろうね」 「東京都体育館っていろいろな大会があるでしょう? 面白かったんじゃない?」 「ああ、実に楽しかった。僕が赴任した時には改築後のリニューアル・オープンと言って、色々な国際大会がセットしてあった。こけら落としにはバレーボールの国際大会があったし、レスリングやバドミントンの世界選手権もセットされていた。そのほかプロスポーツ、たとえば室内テニスの国際大会だとかアメリカのプロバスケットの試合だとかさ。バスケットの試合には息子を連れて、いい席で見させてやった。学校でバスケットをやっていたものだからね。とにかく僕は体育館側の責任者として大会の運営部門と事前に打ち合わせをしなければならない。国際大会だから世界中からやってきてあれこれと打ち合わせをするんだが、そうやって毎日のように外国人と話しているうちに、必要に迫られて片言英語を話していたのが、やがて英語で普通に話すことができるようになった。人間必要に迫られればなんでもできるようになると感じたよ」 「たしかにそうね、本を読んでいただけでは外国語は習得できないもの。高校の英語の教師にも読むだけで話せない人がたくさんいるわ」 「大会の運営者のうち日本のスポーツ団体はだいたいが学校の先生が手弁当でやっているんだ。これには驚いたね。皆ネービーブルーのブレザーとグレーのズボンをはいてやって来ては、打ち合わせをするんだが、おかげでいろんな競技団体と仲良くなった。御馳走してもらったことも何度もあるよ。これは別に賄賂とか懐柔とかいうわけではなく、仲良くなれたことを純粋に喜んでいるんだな」 「それは都合のいい解釈よ。仕事の相手方のご馳走になるのは、やはりいけないことだわ」 「ともあれ僕が教育委員会でもっとも大きく変化したのは、自分を僕と称するようになったことだよ。それまではずっと私って言っていたんだ。それが教育委員会に来るとみな僕といっている。そこで僕も自分を僕というようになったわけなんだ。ちなみにうちの局の技術部門の連中はみな俺と言っている。ぼくもたとえば営繕課に行ったりすれば、俺と言うようになるかもしれない」 「営繕課っていえばこの間私の学校に来たわ。改築の打ち合わせと言って教育委員会の施設課の人と一緒だったけれど、教育委員会の人たちが営繕課の人たちにすごく気を使っているの」 「それは、教育委員会は改築をお願いする立場だから、それをやってくれる人に気を遣うのはある意味当然のことだよ」 「そうかしら、仕事だったら別に卑屈になることもないと思うけど、見ているとかなり卑屈になってるようにも見える」 「まあ、役人の世界には色々な事情があるからね」 「わたしにはそんなことはわからないから、世間の常識で見てしまう。その常識に照らしておかしいと思ったから言うのよ」 こんな具合で話のタネは尽きなかったが、辺りがようよう暮れ始まるのを見て我々は立ち上がった。その拍子にアクシデントを装って彼女に抱き着き、彼女の首筋に顔を埋めかけたところ、 「ダメよ、こんなところで」と拒絶された。 その夜は新宿三丁目辺りのレストランで食事をし、総武線に乗って千葉方面へと向かい、小岩駅で別れたのであった。 |
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