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浜離宮恩賜庭園 |
浜離宮は徳川時代の様式を代表する庭園です。
南東側は海に面し、残りの三方は川によって囲まれ
この地上の島とも言うべき一角に汐入の池や二つの鴨場を中心に
日本の伝統をこらした庭園が広がっています
この庭園は、もと徳川将軍家の別邸として、浜御殿と呼ばれていましたが
明治以降皇室の所有となり、浜離宮と呼ばれていました
一般に開放されたのは昭和20年以降のことです
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この庭園が始めて造成されたのは承応3年(1654)、
四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重によってでした
それまでは 日比谷入江の一部で 葦の生い茂った海面だったものを
埋め立てて甲府屋敷といわれる別邸を建てたのが始まりです
その後、綱重の子供の綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、
この屋敷は将軍家のものとなり、名称も浜御殿と改められました。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、
十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました
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庭園の入口は北西の角にあり
築地川に架かった橋を渡って入ります
築地川は船着場にもなっていて 大小の船が係留されています
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門を潜ると広々とした和風の空間が現れます
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築地川と鴨場の池を結ぶ内堀の先にはお花畑や梅園があります
右は梅園の一角にある東屋
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庭園の中心をなすのは汐入の池です
汐入とは字の如く 海水を池に導く趣向のことで
海水の満ち干にしたがって 池の趣を変化させる試みです
かつては 芝離宮や清澄庭園など汐入の池が他にも作られていましたが
現在実際に海の汐を導きいれている池は この庭園だけです
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池の袂にある茶屋
いつかここを訪れた際には
あひるが出迎えてくれたものでしたが
この日は 姿が見られませんでした
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池の中ほどにある中ノ島と 木造の伝い橋
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これは池の南西にある木橋です
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池の中の小島に立つ 中島の茶屋はこの庭園の風物です
水面に影を落とした様は 一幅の日本画を見るようです
ただ ごらんのように 背後には汐留の高層ビル群が
壁のように立ちふさがり なんともいえない対照を見せています
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汐入の池と 中島の光景
四季折々に表情を変える景色は 一年をつうじて人びとをひきつけるのでしょう
浜離宮MAP 東京都公園協会 資料より引用 |
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