TOKYO TOWNSCAPES |
向島百花園![]() |
向島百花園は、町人文化が花開いた文化文政期に
骨董商を営んでいた町人佐原鞠塢によって 開かれた庭園です
百花園とは四季花の咲き乱れる園という意味で
江戸末期にあって 庶民の貴重な憩いの場として親しまれました
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鞠塢は町人ながらなかなかの文化人であったらしく
大田蜀山人や大窪詩仏をはじめ 当時の一流文化人と交流があり
それらのひとびとから 梅を譲り受けてこの庭園に植えました
その後 詩経や万葉集などの古典に歌われている植物を集め
四季を通じて花の絶えることのない庭園として 人気を集めました
昭和13年、 永久保存のため所有者から東京市に寄贈され
昭和53年には国の名称・史跡に指定されています
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園内には左にあるような説明板と 雪洞様の案内がたくさんたっています
鞠塢がみずから書した 秋の七草の文章も紹介されています
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この日は中秋の名月にあたる日で
夜間には月見の会も予定されていました
それを当て込だのか
素人カメラマンやら 月見団子を楽しみにするひとびとが
明るいうちから大勢集まっていました
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百花園の秋の名物 萩のトンネルです
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さして広くはない庭園には さまざまな植物が植えられています
萩、ススキ、彼岸花など 秋を感じさせる花々が控えめに咲いていました
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遊歩道は 程よい加減に設計され
散策するひとをあきさせないように 工夫されています
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右の石は芭蕉の句碑
「春もやや けしきととのふ 月と梅」とあります
大窪詩仏も 百花園をたたえて
春夏秋冬花不断 東西南北客争来 と詠んでいます
向島百花宴MAP 「東京都公園教会資料より引用」 |
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