洲崎弁天(23×30cm ヴェランアルシュ 2002年2月)

洲崎は、明治の末から昭和の前半にかけて、墨東地域では玉ノ井と並んで大規模な赤線地帯があったところである。門前仲町の芸妓街が粋な雰囲気に包まれているのに対して、ここは周囲を運河によって画され、俗世間とは隔絶した隠微な世界のイメージを喚起させたものだ。

洲崎弁天はこの運河に囲まれた島の北東の一角にある。綱吉の時代に建てられたそうだ。当時は無論遊里などのあるはずもなく、海上に浮かぶ島の上にぽつんとたっていたことだろう。そんなことから江戸の人々はこれをさして浮弁天と呼んだ。江戸名所図会に、「この地は海浜にして佳景なり、殊更弥生の潮尽には、都下の貴賤袖を連ねて、真砂の文蛤を撮り、又は楼船を浮べて、妓姉の弦歌に興を催すもありて、尤も春色を添ふるの一奇観なり、」とある。                 

立ち去り際、隣の公衆便所に入ったところ、壁に広重の洲崎雪中図が模写されていた。雪を被った弁天堂の手前は海で、船を漕ぐ男たちの姿が描かれている。              






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