六義園(23×30cm ワットマン 2002年5月)

六義園は、元禄十五年というから丁度あの忠臣蔵の騒ぎの最中、時の幕政の実力者柳沢吉保によって築かれたものである。江戸期を通じた大名庭園の典型とされているもので、中央に心字池を配し、その周囲を和歌の趣旨を基調とした築山で囲んだ、回遊式築山泉水庭園である。

吉保は立志伝中の人物であるが、政治家としての評価は低い。将軍の寵を得るだけで、大した能力は持っていなかったようである。大それた野心も又持たなかったようで、綱吉の死後は穏やかな隠居生活を過ごし、特に罰せられることもなかった。後の田沼意次や水野忠邦など、勢力を極めた者が晩年をよくしなかったことと比べ幸運であったといえる。

この絵は、池の南側から吹上茶屋の方向を描いたものである。この庭園には、遠景からも目立つような派手な建物がない。池中の島にも、こんもりと築山があるばかりで、水面に影を映すような東亭は見られない。そのかわり、樹木鬱蒼と繁り、四季の変化に色合いを変える葉や、水面を訪れる鳥の姿に、自然の深い趣を感じるのである。






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