谷中寺町・
観音寺築地塀(26×36cm ワトソン 2006年3月)
三崎坂周辺と谷中の高台一帯には多くの寺が集まっていて、かなり大規模な寺町を形成している。寺の歴史にも出入りがあって、天王寺のように徳川以前からあるもの、明暦の大火以後移転してきたものの外、明治以降に建てられた寺もある。みな小さいながら、それぞれに由緒を有している。これらの寺々の山門を一々くぐりながら、先人の墓を掃って歩くのは、心を洗われる清遊である。
愛染川の暗渠を越えて、三崎坂のとっつきには長久寺がある。境内には永井荷風の手になる笠森お仙の碑が立っている。その一寸先には山岡鉄舟が禅道場として創建した全生庵が、また坂を上りきって、左手の路地を数歩入った先には観音寺がある。観音寺は享保以前には長福寺と称し、元禄年間、しばしば赤穂浪士の密談の場となった所である。
この土塀は、観音寺正面の左手を入った路地に沿ってのびている。路地は二間に満たぬ狭いもので、その一角に腰掛けてスケッチしていると、たえず通りがかる車に邪魔されて、その度に脇へ避けねばならない。
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