四谷荒木町(34×25cm ワトソン 2004年7月)
かつて江戸東京学が流行したバブル全盛の頃、一躍時代の脚光を浴びた街に四谷の荒木町があった。写真家たちの絶好の被写体に取り上げられこの街を好んで描く画家も現れたそうな。当時東京の至るところで行われた街壊し現象に対する、アンチテーゼとしての役を担わせられたのだ。
大正から昭和にかけて栄えた三業地がそもそもの由来で、その頃に形成された町の原型が、時代の波にのみこまれずに、都心に残っていたからだろう。徳川時代には美濃高須藩主松平摂津守の屋敷があったところで、いまでもその頃の面影が津の守坂という坂の名に残っている。
バブルがはじけたとはいえ、都心の再開発はじわじわと進み、荒木町の界隈も次第に変貌した。そう広くはない街の境域は四周を大きな道路で囲まれ、それらには高層の建物が並ぶようになった。だが、一歩地域の中に踏み込むと、昔ながらの風情が所々残っていて、絵になる風景もある。町の骨格をなす車力門通りには、多くの路地が交差してあり、それらに沿ってこの絵にあるような風景がいまだ息づいているのである。
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