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やまと絵:画像の鑑賞と解説


日本の絵画の伝統は、古墳時代以前に遡れないわけではないが、本格的に展開するのは、飛鳥時代以降のことである。大陸(唐)の圧倒的な影響を受けながら描かれたそれらの絵は、後に唐絵と呼ばれて、和風の絵であるやまと絵と対比されるようになるが、それはやまと絵が成立して、対比すべきライバルが現れたからであり、やまと絵成立以前には、絵と言えば唐絵のことをさしていた。唐絵というのは、中国の風俗や景物をそのまま描いたもので、たとえば聖徳太子の像や正倉院宝物の樹下美人図のようなものである。聖徳太子は、いうまでもなく日本人であるにかかわらず、あたかも中国人(唐人)であるかのような格好で描かれている。これらの絵を描いた画師は、大陸から来た帰化人とその末裔であろうと推測されている。

やまと絵が成立するのは、9世紀半ば以降のことである。その背景には、遣唐使が廃止されて大陸の文化の輸入が途絶えたことがあり、またそれとパラレルにして、和風文化の成熟が進んだことがある。たとえば漢字をもとに仮名が発明され、その仮名を用いて和風の文章が書かれるようになる。和風の絵としてのやまと絵も、そうした和風文化の成熟の一環として成立したと考えることができる。

そこで、従来の唐絵とやまと絵の比較であるが、もっとも重大な要素は絵のテーマである。唐絵の場合には、大陸の景物や唐風の人物が描かれている。それに対してやまと絵は、基本的には日本の風景や花鳥といったものを描いている。現代の洋画と日本画の違いが、単に描かれているテーマの違いに留まらず、使われる絵の具や定着される支持体まで異なるのに対して、唐絵とやまと絵の違いは、そこに描かれた人物や景物の違いに留まり、他は共通である。時代が下るにしたがって、唐絵とやまと絵の区別はますますわからなくなり、やまと絵が絵画の全体を代表するようになる。すると、もはややまと絵という言い方自体が不要になるわけであるが、そうなってもなお、やまと絵という言い方は残ったようである。それだけ、唐絵の残した影響が大きかったということだろう。

初期のやまと絵は、屏風や障子に描かれた四季絵というものが中心だったようだ。屏風は空間を仕切るための衝立として用いられ、障子は現在のふすまと同じく、壁の代わりに用いられた。いずれも平安時代における、寝殿造りの建物のなかでの、生活に欠かせない道具であった。その道具の表面に四季絵を描いて、日常の生活に彩りをもたらしたのが、やまと絵のそもそもの発端であった。しかしそれらの絵で、今日まで伝わっているものはほとんどないに等しい。東寺と神護寺に伝わっている屏風絵が、その残されている貴重な作品であるが、これは公式の行事で使われた格式の高いもので、絵の中には唐風の人物が出てきたりと、唐絵の名残も感じさせる。

したがって、この時代の四季絵がどんなものだったかを知るには、たとえば源氏物語絵巻に描かれている屏風の図柄から推し量るほかはない。また、四季絵には、絵のテーマを解説する和歌などの詞章がつきものだが、それらの詞章はかなり多く残されているので、それを通じて四季絵のイメージを推測することもできる。こうした努力を通じて浮かび上がってくるのは、年中行事などの景物を季節の移り変わりにあわせて抒情豊かに描いたのが四季絵だということだろう。

平等院鳳凰堂の扉絵は、本来は仏画として描かれたものだが、それをよく見ると、背景として日本的な山水が描かれており、四季絵に共通する要素を読み取ることができる。これが描かれたのは11世紀のなかばであり、その頃には、やまと絵もかなりな発展ぶりをしていたと推測される。

平安時代のやまと絵として今日まで残っているものとしては、絵巻物が重要である。平安時代の末近くなって、源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、伴大納言絵詞、鳥獣人物戯画といった絵巻物が作られた。これらの絵巻物に描かれた絵を見ると、さまざまな点で今日の日本画に通じるものを読み取ることができ、これこそ日本絵画の源流であるといった感を受ける。

また、平安時代末期に、平家によって作られた平家納経というものがある。このなかに描かれた絵が、やまと絵の特徴を強く感じさせる。

以上いくつかの要素を組み合わせながら、やまと絵がどのようなものであったか、その全体像を構成していく必要があると考えられる。

ここではそんなやまと絵の代表的な作品をとりあげ、画像を鑑賞しながら適宜解説を加えたい。


山水屏風:やまと絵

聖徳太子絵伝

信貴山縁起絵巻1:山崎長者の巻

信貴山延喜絵巻2:延喜加持の巻

信貴山縁起絵巻3:尼公の巻

伴大納言絵詞 上巻

伴大納言絵詞 中巻

伴大納言絵詞 下巻

平家納経:やまと絵




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