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鳥獣戯画:作品の鑑賞と解説


京都栂尾の高山寺に伝わってきた「鳥獣戯画」は、国宝指定上の名称では「鳥獣人物戯画」ということになっている。それが単に「鳥獣戯画」として流布しているのは、甲乙丙丁と四巻あるうちの甲巻が、鳥獣をユーモラスに描き、それが全四巻を代表するものとして余りにも有名になってしまったからである。

鳥獣人物戯画四巻を仔細に分析すると、主題や画風に変化があることがわかる。まず、主題であるが、甲巻は鳥獣戯画として、擬人化された猿、兎、蛙などが、ユーモラスに描かれている。乙巻もやはり動物を描き、馬、水牛、鷹、狼、鶏、鷲、麒麟、羊、豹、獅子、像などが取り上げられているが、こちらは戯画ではなくて、動物の通常の生態をテーマにしながらも、中には日本に存在しないものも含まれていることから、中国から伝来した動物絵をもとにして描かれたのであろうと推測される。甲巻の絵がのびのびと描かれているのに対して、乙巻のそれは、やや生硬さを感じさせる。

丙巻の前半と丁巻は人物を描いている。また、丙巻の後半は動物を、戯画風に描いている。このように、丙巻は前後で主題や画風に変化が認められるが、それはもともと別の巻であったものを、後世につなぎ合わせたからだろうと解釈されている。

以上、主題や画風の相違からして、全巻が同じ手になったとは考えにくい。甲と乙とは同じ手になったと考えられるが、丙の前半、丙の後半、丁はそれぞれ別の手になるというのが今日の通説のようである。国宝指定書は、全巻の作者を鳥羽僧正覚猷としているが、これは上記の理由から支持しがたい。甲、乙の部分については、鳥羽僧正の手になったのではないかと考えられる。これについては、根拠がないともいえない。

鳥羽僧正は平安時代後期の天台僧で、天台座主まで上り詰めた人物である。仏道の傍ら仏画にも才能を発揮し、法勝寺金堂の扉絵を描いたことなどが伝えられている。鳥獣戯画のうち、甲乙二巻は鳥羽僧正の存命時期と重なるか、遠からぬ時期に作られたと考えられるので、僧正直筆の可能性はあり、また僧正の薫陶を受けた弟子の手になった可能性もある。これに対して、丙と丁の部分は、僧正死後の鎌倉時代に入ってからの作品だと考えられている。

現在、高山寺には、甲の実物大の模写絵と、乙丙丁の縮小版が、一般向けに展示されている。甲の画面を見ると、いたるところに高山寺と記した印が押されているが、これは、切り取りを防止するための措置だと解釈されている。鳥獣戯画は、一時期散逸したあと、断片をつなぎ合わせて復元された経緯があり、その際に、再度の切り取りを防止するために、このような処置が施されたと考えられる。ここでは、鳥獣人物戯画全四巻のうち甲巻の絵について鑑賞し、簡単な解説を加えたいと思う


鳥獣戯画1(泳ぎと弓)

鳥獣戯画2(宴会の準備)


鳥獣戯画3(猿の僧正)

鳥獣戯画4(逃げる猿)

鳥獣戯画5(蛙と兎の相撲)

鳥獣戯画6(蛙の御本尊)







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