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長谷川等伯:作品の鑑賞と解説


長谷川等伯は狩野永徳と並んで桃山時代を代表する画家である。永徳のように家門の後ろ盾を持たず、能登の片田舎から身を興したが、たぐいまれな精進ぶりを発揮して画境を深め、独自の画風を確立した。一時は、大勢の門人を抱え、永徳の狩野派に対抗する実力をもったが、長谷川派は等伯あっての長谷川派で、等伯亡き後は、次第に衰えて行った。

等伯の生家は染色を家業としていた。幼い等伯は家業を通じてかれなりの色彩感を養ったのであろう。始めは信晴と号して、仏画や人物画を描いた。若い頃の等伯は、家業の影響もあって大和絵を体得する傍ら、雪舟門下の等春の門人となり、雪舟の水墨画をも学んだ。後には雪舟五代を自称しているから、雪舟へのこだわりには相当のものがあったはずだ。雪舟の影響をうかがわせる作品としては妙覚寺の花鳥図があり、大和絵の影響をうかがわせるものとしては牧馬図がある。

京都へは三十代半ばに出てきたようだ。狩野松栄に入門して狩野派の画法を学んだが、すぐに決別して、自分自身の画境を追求した。かれの狩野派への対抗心は相当のもので、永徳とはことあるごとに対立したといわれている。狩野派とは縁が遠かった千利休に近づき、利休から禅の心得を学んだともいわれる。かれが大徳寺はじめ京都の有力寺院と深いかかわりを持つようになったについては、千利休の計らいもあったと思われる。

大徳寺は宋元の名画を多く所蔵しており、等伯はそれを参考にして、自分の画境を深めたと思われる。特に牧谿の作品は、雪舟にも深い影響を与えており、等伯は自分にとっての画祖である雪舟が手本にした牧谿を、自分の画風にも積極的に取り入れたのである。その最も大きな成果は、相国寺の竹林猿猴図屏風や龍泉庵の枯木猿猴図である。

長谷川等伯畢生の大作は、五十代なかばに制作した祥雲寺障壁画と、その直後に制作されたと思われる松林図である。祥雲寺障壁画は、現在智積院において保存されている桜楓図などの花木草花図数点からなる。この一連の作品は、狩野派とは別の世界を展開しており、その華麗な表現は、我が国障壁画の最高傑作とも言われている。

一方松林図は、等伯の水墨画の最高傑作と言えるもので、かれのそれまでの水墨画家としての画業の集大成と言えるものである。これもまた、日本の水墨画史上最高傑作との呼び声が高い。

長谷川等伯は、65歳の年に法橋となり、その翌年には法眼となって、画家としての栄華を極めたが、作品の出来栄えは次第に陳腐なものになっていった。注目されるのは、晩年の等伯の絵には禅を思わせるものが多いということだ。ここではそんな長谷川等伯の代表的な作品をとりあげ、画像を鑑賞しながら適宜解説を加えたい。


伝名和長年像:長谷川等伯

花鳥図屏風:長谷川等伯


牧馬図:長谷川等伯

山水図襖:長谷川等伯

竹林猿猴図屏風:長谷川等伯

竹鶴図屏風:長谷川等伯

松に鴉・柳に白鷺図屏風:長谷川等伯

楓図:長谷川等伯

松に秋草図:長谷川等伯

桜図:長谷川久蔵

松林図屏風:長谷川等伯

古木猿猴図:長谷川等伯

山水図襖:長谷川等伯

波濤図:長谷川等伯

鴉鷺図屏風:長谷川等伯

龍虎図屏風:長谷川等伯




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