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曽我蕭白の世界:作品の鑑賞と解説


曽我蕭白といえば、無頼とか奇怪といった言葉が付きまとう。時には狂人と呼ばれたりもする。それには、蕭白を最初に本格的に研究した辻惟雄が、岩佐又兵衛らと並んで蕭白を「奇怪の系譜」に位置づけたという事情もある。たしかに蕭白の絵には、奇怪という言葉が相応しい作品が多い。なかには、明らかに酔っ払って描いたものも指摘される。人柄が絵に出ているという推測から、そんな奇怪な絵を描く画家は人物も奇怪に違いないと思われがちである。

たしかに曽我蕭白には、奇怪な人間性を思わせる要素がある。蕭白は、曽我派の画家蛇足の子孫を自称していたが、そのこと自体根拠が乏しいうえに、藤原氏の子孫であるとか、明の皇帝の子孫であるとか、互いに矛盾することを平気で主張している。

蕭白の出自は詳しくわかっていない。辻の研究や、それを受け継いだ狩野博幸によれば、京都の紺屋の倅として生まれた可能性が高いという。生家は京都の西陣近くにあったらしく、西陣近くにある興聖寺には、蕭白自身の墓と思われるものがあるという。蕭白の画家としての修行はほとんど判っていないが、紺屋の家業が幼い蕭白になんらかのかかわりがあることは推測できる。

蕭白はすでに二十歳台には、一流といえる作品を手がけているから(久米仙人図屏風は29歳の作品)、若くして才能を発揮したといえる。明和元年伊勢地方に旅し、そこで数多くの作品を残している。その数が非常に多いので、一時は蕭白を伊勢出身の画家として見ることが有力だったほどだ。蕭白はまた、近江や播磨にも作品を残している。若い頃は、パトロンを求めて各地を旅して回ったのと思われる。四十歳以降はもっぱら京都にいたようだが、京都での作品はそんなに多くはない。

蕭白の代表作といわれるものには、中国の故事伝説に題材をとった奇怪な作品が多い。「群仙図屏風」は明和元年(1764)の伊勢旅行の際の作品で、中国の伝説的仙人たちをモチーフにしたものだ。構図といい、人物の表情といい、型破りな作品である。「群仙図屏風」は極彩色で描かれているが、蕭白の作品の大部分は墨画である。墨画の一部に彩色を施したものもある。墨画の代表作「雲竜図」も、非常な奇怪さを感じさせる絵で、龍は実に愛嬌を感じさせる。愛嬌という点では、「雪山童子図」などは、樹上から鬼をからかう童子の表情がいかにもユーモラスである。それに比べると、やはり彩色画の代表作である「美人図」のほうは、あやしい雰囲気を感じさせて妙である。

蕭白の作品の特徴は、技法的には、彩色画にあっては極彩色あふれる非常に彩度の高い作品、墨画にあっては、メリハリのきいた明暗対比ということになろう。蕭白の墨画のテクニックは、同時代の文人画の巨匠に負けないものを感じさせるが、蕭白がどこでその技術を見につけたか、詳しいことはわからない。

蕭白は享保十五年(1730)に生まれ、天明元年(1781)に満五十歳で死んだ。画家としては長い人生ではなかったが、年の割には多くの傑作を残した。日本の美術史上最も才能のある画家の一人だった。ここではそんな蕭白の代表作を取り上げ、鑑賞のうえ適宜解説・批評を加えたい。(上の絵は、伊勢安養寺に伝わる達磨像、蕭白は自画像を残していないので、これを自画像に代えて紹介する次第)


久米仙人図屏風:曽我蕭白の世界

寒山拾得図:曽我蕭白の世界


柳下鬼女図屏風:曽我蕭白の世界

林和靖図屏風:曽我蕭白の世界

寒山拾得図:曽我蕭白の世界

雲龍図:曽我蕭白の世界

群仙図屏風右隻:曽我蕭白の世界

群仙図屏風左隻:曽我蕭白の世界

雪山童子図:曽我蕭白の世界

鷹図:曽我蕭白の世界

竹林七賢図屏風:曽我蕭白の世界

松に鷹図襖:曽我蕭白の世界

唐獅子図:曽我蕭白の世界

朝田寺杉戸図:曽我蕭白の世界

後醍醐帝笠置御潜逃図:曽我蕭白の世界

風仙図屏風:曽我蕭白の世界

人麿図:曽我蕭白の世界

龍虎図:曽我蕭白の世界

蝦蟇・鉄拐仙人図:曽我蕭白の世界

月夜山水図屏風:曽我蕭白の世界

山水図:曽我蕭白

達磨図:曽我蕭白の世界

蓮鷺図:曽我蕭白の世界

月下狸図:曽我蕭白の世界

仙人図屏風:曽我蕭白の世界

獅子虎図:曽我蕭白の世界

蝦蟇・鉄拐図押絵貼屏風:曽我蕭白の世界

富士・三保松原図屏風:曽我蕭白の世界

太公望図:曽我蕭白の世界

鷲図屏風:曽我蕭白の世界

美人図:曽我蕭白の世界




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