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身延川裏不二、相州仲原:北斎富嶽三十六景



(身延川裏不二)

身延川とは、身延山久遠寺の山中から発し、やがて富士川に合流する渓流だとする説と、身延山あたりを流れる富士川そのものだとする説が並立している。どちらにしても、このあたりからは富士は東の方向にあたる。ということは、画面左手が北の方向、久遠寺はその方向にあたる。

絵の中の身延川は、濁流逆巻く暴れ川のように描かれている。小さな渓流がこのように暴れるとは考えにくく、また、現在の身延川という渓流からは、富士山は山に遮られて見えないことから、これは富士川の本流と考えたそうがよさそうである。富士川の本流は、日本有数の急流として知られている。北斎は、その急流としてのイメージを、ここに表現したのではないか。

道を行き交う人々は、久遠寺へ往復する人々か。籠に乗っているのは参詣客、馬を引き、天秤棒を担いでいるのは、寺に物資を届けた人々の、復路の様子か。


(相州仲原)

相州仲原は、いまの平塚市中原、中原街道の起点だ。徳川時代には、大山への参詣道として賑わった。この絵は、その参詣道を描いたと考えられる。富士の右側に小さく画かれているのが大山だろう。

画面手前に小さな川が流れ、それに沿って参詣道と思しき道がある。川にはへの字型をした木の橋が架けられ、そこを渡っている三人を含め、都合七人の人物が描かれている。面白いのは、彼らの姿勢に相似性が認められることだ。橋を渡っている三人と右端の男はいずれも、右足を前に踏み込んで左足を後ろに残している。天秤棒を担いだ男とその右手の行者風の男は、どちらも同じような足の組み方だ。北斎には人物を相似的に描いていく趣味があったらしい。

川に入っている左端の男のくるぶしくらいまでしか水が無いところから見て、この川が非常に浅いことがわかる。また、右端の男は背中を見せているが、その背中にある風呂敷についている模様は、版元西村屋の紋章である。北斎はここでも、ちゃっかり商売気を見せているわけである。







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