長福寺(23×30cm アルシュ 2002年7月)
夏見台地の東南隅の一角に古刹長福寺が立っている。夏見の集落の裏手にのびている坂を上り詰めた所にある。由緒書によれば、創建は十世紀末の円融天皇の御代、定朝の作になる聖観音像を祀る堂を営んだことに始まる。徳川時代には将軍家の御朱印寺とされ、碌高五石を給せられとある。禅寺であるが本尊は今尚観音像である。近年この像を解体修理した際、腹の中から永録年間の再興を記した文書が出てきたそうだ。
五石とは随分少ないようにも思われる。当時、成人男子一人が年間に食う米の量がほぼ一石であったから、五石とは坊主五人分の食い扶持たるに過ぎない。もっとも、夏見や行田周辺の土地は、徳川時代には細分化されて旗本や御家人に宛がわれたといい、その規模は数石単位であったというから、長福寺はその一部に与ったのかもしれない。いづれ寺の碌高がどのような基準に従って決せられたか、調べてみたいものである。
寺は周囲を林に囲まれ、森閑たる雰囲気に囲まれている。折から雨の如き蝉の音が、暑さの中の静寂を逆説的に演出していた。